卒業式の季節になると、ふと耳によみがえる「卒業写真」。合唱コンクールや音楽の授業で誰もが一度は歌った「翼をください」。どちらのオリジナルにも、あの澄みきったソプラノが響いていました。歌っていたのは山本潤子さんです。赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、そしてソロと、半世紀近くにわたって「日本でいちばん美しい声」と称されることもあった歌い手ですが、ここ十数年はテレビでもステージでも姿を見かけなくなりました。「引退したの?」「今はどうしているの?」と気になって検索した方も多いのではないでしょうか。この記事では、全盛期の歩みから2014年の無期限休養、そして2026年現在の状況までを、確認できた事実をもとに丁寧にたどっていきます。

01山本潤子のプロフィール

名前
山本潤子(やまもと じゅんこ)
生年月日
1949年12月30日(76歳)
出身
奈良県吉野郡天川村生まれ、大阪育ち
職業
歌手・シンガーソングライター
所属グループ
赤い鳥(1969〜1974年)、ハイ・ファイ・セット(1974〜1994年)
ソロデビュー
1994年10月、アルバム『JUNKO YAMAMOTO』
代表曲
「翼をください」「竹田の子守唄」「卒業写真」「フィーリング」「冷たい雨」
現在
2014年5月から無期限休養中

グループ時代からソロまで、45年近く「声そのもの」で勝負し続けた、まさに声のアーティストです。

02全盛期の活躍――赤い鳥と三声のハーモニー

赤い鳥で全国区へ――「翼をください」の誕生

山本潤子さんの音楽人生は、1969年に結成されたフォークグループ「赤い鳥」から始まります。結成した年にヤマハ主催のライト・ミュージック・コンテストで優勝し、1970年に日本コロムビアからメジャーデビュー。翌1971年、レーベルをアルファ・アンド・アソシエイツに移して発表したシングル「竹田の子守唄/翼をください」が大きなヒットとなりました。

「翼をください」は山上路夫さん作詞、村井邦彦さん作曲。山本潤子さんのまっすぐで伸びやかな高音が、この曲の持つ「自由への憧れ」を見事に体現していました。赤い鳥はフォークの枠にとどまらず、コーラスワークや洋楽的なアレンジでも評価され、のちに「日本のポップスの源流」と語られる存在になっていきます。

なお、1973年4月にはメンバーの山本俊彦さんと結婚。音楽の上でも人生の上でも、二人三脚の歩みがここから本格的に始まりました。

ハイ・ファイ・セット結成と「卒業写真」

1974年9月に赤い鳥が解散すると、翌10月、山本潤子さん・山本俊彦さん・大川茂さんの3人でハイ・ファイ・セットを結成します。グループ名は細野晴臣さんの提案によるものとされています。山本潤子さんのソプラノ、山本俊彦さんのテナー、大川茂さんのバスという三声のハーモニーは、当時の日本のポップスでは珍しいほど洗練されたものでした。

1975年、東芝EMIからのデビュー曲が、荒井由実(現・松任谷由実)さんから提供された「卒業写真」です。ファーストアルバムのタイトルにもなったこの曲は、ユーミン本人の版と並んで長く愛され、ハイ・ファイ・セットの名刺代わりの一曲になりました。アルバムには同じくユーミン作品の「海を見ていた午後」なども収められ、ユーミンとの縁はグループを語るうえで欠かせない要素です。

「フィーリング」の大ヒットと紅白出場

決定打となったのが、1976年12月1日に発売された「フィーリング」です。ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートさんの「愛のフィーリング」に、なかにし礼さんが日本語詞をつけたカバー曲で、オリコン最高2位、売上は56万枚を超えるヒットを記録しました。この曲で1977年末の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしています。

その後も「冷たい雨」などのヒットを重ね、ハイ・ファイ・セットは約20年の活動でオリジナルアルバム19枚、シングル26枚を残しました。いわゆる「ニューミュージック」の時代に、都会的で上品なコーラスグループとして独自の地位を築いたのです。

声の魅力――「透明感」の正体

山本潤子さんの歌声を語るとき、多くの人が口をそろえるのが「透明感」という言葉です。ビブラートに頼りすぎず、まっすぐに伸びていく高音。言葉がくっきり聴き取れる発声。そして、ハーモニーの中では一歩引いて全体を支え、ソロでは一気に前に出る柔軟さ。プロの歌手からも「理想の声」として名前が挙がることがあるのは、こうした技術と品の良さが同居しているからでしょう。

03ソロ転身と2014年の無期限休養

ハイ・ファイ・セットは1994年9月に解散。山本潤子さんは翌10月にソロアルバム『JUNKO YAMAMOTO』を発表し、ソロシンガーとしての新章をスタートさせました。

ソロ時代の山本潤子さんは、一人で歌うだけでなく、仲間と組むユニット活動にも積極的でした。2000年4月には、元オフコースの鈴木康博さん、元ふきのとうの細坪基佳さんと「Song for Memories」を結成。フォーク世代の名曲をハーモニーで歌い継ぐこのユニットは2009年まで続きました。ほかにも吉川忠英さんらと組んだ「nanan」、2003年6月に結成したコーラスグループ「April」など、ジャンルや世代を越えたコラボレーションを重ねています。2005年12月には8年ぶりのソロアルバム『small circle』も発表しました。

そして2014年。この年は山本潤子さんにとって大きな転機となります。

  • 1994年9月ハイ・ファイ・セットが解散。
  • 1994年10月ソロアルバム『JUNKO YAMAMOTO』でソロ活動を開始。
  • 1997年11月「翼をください」のセルフカバーをシングルとして発売。
  • 2000年4月鈴木康博さん、細坪基佳さんとSong for Memoriesを結成(2009年まで活動)。
  • 2005年12月8年ぶりのソロアルバム『small circle』を発表。
  • 2014年2月23日静岡県沼津市での公演のMCで、喉の不調を理由にツアー終了後の休養を発表。
  • 2014年3月27日夫で音楽パートナーの山本俊彦さんが虚血性心不全のため67歳で死去(デイリースポーツ等が報道)。
  • 2014年5月6日名古屋公演を最後に無期限休養に入る。
  • 2016年5月30日ファンのリクエストをもとに選曲したCD-BOX『Junko Yamamoto ALL TIME SONGS』発売。
  • 2022年Song for Memoriesの「Five Hundred Miles」が映画『ブレット・トレイン』で使用される。
  • 2026年5月27日ベスト盤『GOLDEN☆BEST 赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄』発売。

休養発表の経緯

2014年2月23日、山本潤子さんは静岡県沼津市での公演のMCで、喉の不調を理由に、当時行っていたツアーの終了をもって休養に入ることを明かしました。その後ブログでもあらためて報告しています。報道によると、所属事務所は喉のポリープなどの病気ではないと説明していました。

ところが、そのツアーの途中だった3月、思いもよらない出来事が起こります。赤い鳥時代からの仲間であり夫でもある山本俊彦さんが、3月27日に虚血性心不全で急逝したのです。67歳でした。40年以上にわたり、ステージでも家庭でも隣にいたパートナーとの突然の別れでした。

それでも山本潤子さんは予定されていたツアーを最後まで歌い切り、2014年5月6日の名古屋公演を最後に無期限休養に入りました。休養の発表自体は夫の急逝より前のことであり、「引退」という言葉は公式には使われていません。ネット上では引退説や体調をめぐるさまざまな憶測が見られますが、本人や事務所から新たな公式発表は確認できません。ここでは「無期限休養が続いている」というのが、確かに言えることのすべてです。

04歌い継がれる名曲――翼をくださいと卒業写真

山本潤子さんについて語るとき、本人の活動と同じくらい大きいのが「楽曲が歌い継がれている」という事実です。この節では、山本潤子さんの声と結びついた名曲が、その後どんな人生を歩んできたかを見ていきましょう。

「翼をください」は国民的な愛唱歌に

「翼をください」は1976年以降たびたび音楽の教科書に掲載され、1970年代後半から学校の合唱曲として定着していきました。いまや「老若男女誰もが歌える愛唱歌」と言っても大げさではありません。

さらに1997年10月のUAE戦からは、サッカー日本代表の応援歌としてスタジアムで歌われるようになります。この盛り上がりを受けて、山本潤子さんは同年11月12日に「翼をください」のセルフカバーをシングルとして発売し、翌1998年にはセルフカバー・ベスト『翼をください THE BEST』もリリースしました。四半世紀前に自分が歌った曲が、まったく別の形でよみがえる。歌手として、これほど幸せな出来事はなかなかないはずです。

「卒業写真」はユーミンと二つの名演で

「卒業写真」は荒井由実さんのアルバム版と、ハイ・ファイ・セットのデビューシングル版という二つの名演を持つ珍しい曲です。その後も多くのアーティストにカバーされ、2022年にはJUJUさんがアルバム『ユーミンをめぐる物語』で取り上げています。ハイ・ファイ・セット版のやわらかなコーラスを原体験として持つ世代にとって、卒業シーズンの定番ソングであり続けています。

ハリウッド映画にも届いたハーモニー

意外なところでは、2022年公開のブラッド・ピット主演映画『ブレット・トレイン』で、Song for Memoriesの「Five Hundred Miles」が使われました。ヘディ・ウェストの名曲をカバーしたもので、劇中ではキャラクター同士のちょっとした交流の場面で流れています。休養から8年たってなお、山本潤子さんたちのハーモニーが世界中のスクリーンで鳴ったわけです。サウンドトラックにも収録され、配信でも聴くことができます。

052026年現在の活動

無期限休養は12年目に

2026年10月現在、山本潤子さんは2014年5月の名古屋公演以来、表立った音楽活動を行っていません。新たなライブやメディア出演、復帰に関する公式発表は確認できませんでした。本人名義の公式SNSアカウントも確認できていません。12月で77歳を迎える山本潤子さん。静かに過ごしておられるのだろうと想像はできますが、私生活についてはご本人が語っていない以上、詮索せずに見守るのがファンとしての礼儀でしょう。

ファンのブログでは今も「山本潤子さんのこと」を綴る投稿が見られ、2026年夏にも、あの透明な高音への思いや、夫を亡くした悲しみを抱えながらツアーを歌い切った姿への敬意を書き残した記事がありました。表舞台にいなくても、記憶の中で歌い続けている人なのだと感じさせられます。

2026年5月、赤い鳥のベスト盤が登場

そんな中、2026年5月27日には『GOLDEN☆BEST 赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄』(MHCL-31163)が発売されました。「翼をください」「竹田の子守唄」を含む全24曲を収めたCDで、赤い鳥を「日本のポップスの源流ともいえるスーパーグループ」と紹介しています。ハイレゾを含む配信でも聴けるため、若い世代が山本潤子さんの声に出会う入口にもなりそうです。

また、2016年5月30日に発売されたCD-BOX『Junko Yamamoto ALL TIME SONGS』も、ソニー・ミュージック系の音楽サイト「otonano」で今も紹介されています。こちらはファンのリクエストをもとに、赤い鳥・ハイ・ファイ・セット・ソロの各時代から95曲を選んだ5枚組。休養後に「ファンと一緒に作った」作品集として、今も大切に聴かれています。

「シティポップ」の文脈で再評価

ここ数年の世界的なシティポップ・ブームの中で、ハイ・ファイ・セットの作品にもあらためて光が当たっています。ソニー・ミュージック系の音楽ウェブ誌「otonano」では、2025年3月、若手歌人がハイ・ファイ・セットのデビューアルバム『卒業写真』から着想を得た短歌を寄せる企画が掲載されました。名盤と現代の短歌を組み合わせるという企画のなかで、アルバムは次のように紹介されています。

洗練されたハーモニーに魅了されるだろう 出典:otonano 2025年3月17日

50年前の作品が、まったく新しい世代の表現者を刺激している。ここに、山本潤子さんたちが残した音楽の強さがあります。

サブスクで広がる新しいリスナー

赤い鳥、ハイ・ファイ・セット、ソロの楽曲の多くはストリーミングサービスで配信されており、「フィーリング」「卒業写真」「翼をください」などは今も気軽に再生できます。『ブレット・トレイン』をきっかけにSong for Memoriesを知った海外のリスナーもいるでしょう。本人はステージを離れていても、作品は国境や世代を越えて聴かれ続けている――それが2026年の山本潤子さんをめぐる、いちばん確かな「現在」です。

06まとめ――山本潤子は今

山本潤子さんは、赤い鳥の「翼をください」、ハイ・ファイ・セットの「卒業写真」「フィーリング」で日本のポップス史に名前を刻んだ歌手です。2014年、喉の不調を理由とした休養発表と、夫・山本俊彦さんの急逝が重なった年に、名古屋公演を最後に無期限休養に入りました。それから12年、復帰の発表はありませんが、歌声は今も新しい形で届き続けています。

山本潤子 2026年現在まとめ

  • 1949年12月30日生まれ、奈良県出身・大阪育ちの76歳
  • 赤い鳥で「翼をください」、ハイ・ファイ・セットで「卒業写真」「フィーリング」をヒットさせた
  • 2014年5月6日の名古屋公演を最後に無期限休養。公式に「引退」とは表明していない
  • 同年3月、夫で音楽パートナーの山本俊彦さんが67歳で急逝
  • 2016年にはファン選曲の95曲入りCD-BOXが発売された
  • 2026年5月に赤い鳥のベスト盤『GOLDEN☆BEST』が発売された
  • 2026年10月時点で復帰や新たな活動の公式発表は確認されていない

「今どうしているの?」という問いへの答えは、「静かに休養を続けている」ということになります。けれども、合唱の時間にどこかで「翼をください」が歌われ、卒業式の帰り道に誰かが「卒業写真」を口ずさむたびに、山本潤子さんの歌は生き続けています。久しぶりに、あの澄んだソプラノをじっくり聴き直してみてはいかがでしょうか。