直立不動のまま、表情ひとつ変えずにピックを振り下ろし続けるベーシスト。1980年代のバンドブームを体験した方なら、BOØWYのステージで氷室京介さんと布袋寅泰さんの横に立っていた、あの細身のシルエットを覚えているのではないでしょうか。ベースの松井恒松さんです。1988年のバンド解散後、氷室さんと布袋さんがソロで大ヒットを飛ばす一方で、松井さんの名前をテレビで見かける機会はぐっと減りました。「あの人は今どうしているんだろう?」と気になっていた方も多いはずです。実は松井さん、現在は「松井常松」と名前の表記を変えて、66歳になった今も自分の歌とギターで音楽活動を続けています。この記事では、BOØWY時代の活躍から解散後の歩み、そして2026年現在の姿までをたどっていきます。
01松井恒松のプロフィール
- 名前
- 松井常松(まつい つねまつ)※BOØWY時代は松井恒松
- 本名
- 松井恒二
- 生年月日
- 1960年9月8日(66歳)
- 出身地
- 群馬県高崎市
- 担当
- ベース、ボーカル、アコースティックギター
- 主な在籍バンド
- BOØWY、GROOVE SYNDICATE
- 事務所
- ソリッド・サウンズ(個人事務所)
- 著書
- 『あの頃 僕らは』(1993年)、『記憶』(2009年)
BOØWYの中で唯一「ずっと同じ場所に立っていた人」という印象の強い松井さんですが、そのキャリアは実はとても多彩なんです。
02全盛期の活躍――伝説のバンドを支えた低音
高崎の仲間たちと始まったバンド人生
松井さんは群馬県高崎市の出身。高校時代には、同じ高崎出身の氷室京介さんらとバンド「デスペナルティ」を組んでいたことが知られています。地方都市の若者たちが音楽に夢中になっていた、まさに原点ともいえる時代ですね。
1980年には織田哲郎さんのバンドのメンバーとして一度プロの世界に足を踏み入れています。そして同じ1980年の秋、氷室さん、布袋寅泰さんと合流。これがのちのBOØWYへとつながっていきます。1982年、アルバム『MORAL』でBOØWYのベーシストとして再デビューを果たしました。
ライブハウスから東京ドームへ
BOØWYは結成当初、決して順風満帆だったわけではありません。ライブハウスを中心に地道な活動を重ね、『INSTANT LOVE』(1983年)、『BOØWY』(1985年)、『JUST A HERO』(1986年)とアルバムを重ねるごとに支持を広げていきました。
そして1986年の『BEAT EMOTION』、1987年の『PSYCHOPATH』で人気は頂点に。「B・BLUE」「ONLY YOU」「わがままジュリエット」「Marionette」など、今もカラオケやライブのカバーで歌い継がれる名曲が次々と生まれました。1980年代後半のバンドブームは、BOØWYの存在抜きには語れないといっても大げさではないでしょう。
解散宣言とLAST GIGS
人気絶頂の1987年末、BOØWYは解散を発表します。翌1988年4月、東京ドームで行われた「LAST GIGS」はロック史に残る伝説の公演となりました。オリジナルメンバーとして最後までベースを弾き続けた松井さんにとっても、ひとつの時代が幕を閉じた瞬間でした。
このときの松井さんは、まだ27歳。ここから先、どんな音楽人生を選ぶのかに注目が集まることになります。
03解散後の歩み――ソロ転向と改名
BOØWY解散後、氷室さんと布袋さんがソロアーティストとして華々しく活躍を続けたのに対し、松井さんは少し違う道を歩みました。ベーシストとして前に出るのではなく、自分で歌い、自分の世界観を作り上げるソロアーティストとしての活動です。
1989年、佐久間正英さんのプロデュースによるソロアルバム『よろこびのうた』でソロデビュー。以降、1990年代前半から半ばにかけて、ほぼ毎年のようにアルバムを発表していきます。公式プロフィールでは、1992年の『月下氷人』について、松井さん自身のボーカルを中心にした作品だったと紹介されています。「ベースの人」から「歌う人」へ。この変化こそが、解散後の松井さんを理解するカギかもしれません。
名前の表記を「恒松」から「常松」に改めたのは1992年頃のこと。BOØWY時代の名義で検索しても最近の情報がなかなか見つからず、「消息不明」と思われがちな理由のひとつは、実はこの改名にあるのでは、と編集部は見ています。
- 1980年織田哲郎さんのバンドでプロデビュー。同年秋に氷室京介さん、布袋寅泰さんと合流。
- 1982年BOØWYのベーシストとしてアルバム『MORAL』で再デビュー。
- 1988年4月東京ドーム「LAST GIGS」をもってBOØWYとしての活動を終える。
- 1989年佐久間正英さんプロデュースのアルバム『よろこびのうた』でソロデビュー。
- 1992年頃名前の表記を「松井恒松」から「松井常松」に改める。アルバム『月下氷人』を発表。
- 1993年著書『あの頃 僕らは』を刊行。初のソロライブを行う。
- 1998年アルバム『Bye Bye EXTREMER』を発表。
- 2003年プロジェクト「GROOVE SYNDICATE」を始動。布袋寅泰さんのプロデュースでアルバム『1』をリリース。
- 2004年個人事務所「ソリッド・サウンズ」を設立。
- 2006年アコースティック作品『Nylon nights』『Nylon nights 2』を発表。のちのライブシリーズ「ナイロンナイツ」の原点に。
- 2009年ソロ20周年記念作『HORIZON ~20TH ANNIVERSARY~』、カバーアルバム『RAVE ON』を発表。著書『記憶』を刊行。
- 2012年10月ラジオ高崎で冠番組「松井常松 SOLID SOUNDS」がスタート。
- 2014〜2018年『Reverie』『Moments In Love』『Heart Rate』『liquid』とアルバムを発表。
こうして並べてみると、「表舞台から消えた」どころか、松井さんはほとんど途切れることなく作品を出し続けていたことがわかります。テレビに出なくなっただけで、音楽家としての歩みはずっと続いていたんですね。
特に注目したいのが2003年のGROOVE SYNDICATEです。BOØWY時代の盟友である布袋さんがプロデュースを手がけたという事実は、解散から15年を経ても2人の音楽的なつながりが続いていたことを物語っています。ファンにとってはうれしい出来事だったのではないでしょうか。
04深掘り――ダウンピッキングという美学
「ミスターダウンピッキング」と呼ばれた理由
松井さんを語るうえで欠かせないのが、ダウンピッキングという奏法です。一般的にピックでベースを弾く場合、ピックを上下に往復させて弦をはじきます。ところが松井さんは、ピックを振り下ろすときだけ弦を弾く「ダウンピッキング」で8分音符を刻み続けるスタイルを貫きました。
ダウンピッキングは音の粒と輪郭がそろいやすく、ビートに独特の疾走感と硬質な推進力が生まれます。その一方で、テンポの速い曲をダウンだけで弾き切るのは体力的にもかなりハード。それを直立不動、無表情のままこなす姿から、松井さんは「ミスターダウンピッキング」とも呼ばれるようになりました。
シンプルを極めるということ
BOØWYの楽曲で松井さんが弾くベースラインは、ルート音を中心にしたシンプルなものが多いといわれます。派手なフレーズを弾くわけではありません。でも、高橋まことさんの8ビートと松井さんのダウンピッキングが噛み合うことで、布袋さんのギターと氷室さんのボーカルが思い切り暴れられる土台ができていたわけです。
今でもベーシストの間では、松井さんのプレイが「シンプルな作業を極めた職人芸」として語られることがあります。BOØWYのコピーバンドを組んだことがある方なら、あのベースを最後までダウンで弾き切る大変さを身をもって知っているかもしれませんね。
前に出ない人が「歌う人」になった
面白いのは、あれほどステージで前に出ることのなかった松井さんが、ソロでは自分で歌う道を選んだことです。2007年の音楽誌インタビューでは、ライブでは歌を中心にしたいとずっと思っていた、という趣旨の発言も残しています。
BOØWYの「松井恒松」は、バンドの屋台骨を支える寡黙なベーシストでした。一方でソロの「松井常松」は、自分の言葉とメロディを届けるシンガーソングライター的な存在です。2つの名前は、同じ人のまったく違う顔を映しているようにも見えます。
052026年現在の活動
20年目を迎えた「ナイロンナイツ」
2026年現在の松井さんの活動の柱は、アコースティックライブシリーズ「ナイロンナイツ」です。ナイロン弦のギターを抱えて歌うスタイルは、2006年のアルバム『Nylon nights』から数えて、2026年でちょうど20年目を迎えました。
2026年は6月6日に東京・渋谷のJZ Brat SOUND OF TOKYOで「ナイロンナイツ 2026 SHIBUYA」を、6月20日には大阪・南堀江knaveで「ナイロンナイツ・アローン 2026 OSAKA」を開催しました。大阪公演は、タイトルのとおりたった一人でステージに立つ弾き語り公演です。
公式サイトのメッセージでは、20周年だからといって特別な曲や演出を用意しているわけではない、という趣旨の言葉もつづられていました。記念の年でも気負わず、いつもどおりの自分で歌う。いかにも松井さんらしい姿勢ですよね。ライブ告知の際には、こんな言葉も寄せています。
本当にやりたいことだけ、自分が楽しむことだけを追求して今日に至ること、とても幸せに思います。 出典:松井常松オフィシャルサイト 2026年5月8日
大阪公演のあとには、これまでの音楽人生で最高の一夜だったという趣旨の感想も公式サイトに寄せています。66歳にして「最高の一夜」を更新し続けられるのは、本当に素敵なことだと思います。
ファンとの温かな関係
渋谷公演のあと、松井さんは公式サイトでファンから届いたメールを紹介しています。その内容は、松井さんが楽しそうに歌っていると自分たちも幸せな気持ちになる、というもの。松井さんはそれを、親が子どもを見守る気持ちに似ていると受け止めたそうです。
BOØWY時代から40年近く応援を続けるファンと、今の松井さんとの間には、スターと観客というより、長い時間をともに過ごしてきた仲間のような空気が流れているのかもしれません。2025年には公式グッズとしてトートバッグを制作したことも報告しており、ファンとの交流を楽しんでいる様子がうかがえます。
地元・高崎での活動とラジオ番組
松井さんの活動を語るうえで欠かせないのが、故郷・高崎とのつながりです。2012年10月にスタートしたラジオ高崎の冠番組「松井常松 SOLID SOUNDS」は、2026年現在も同局の番組表に名前が載っており、10年以上にわたって続く長寿番組になっています。
また、地元の高崎音楽祭にはたびたび出演してきました。2025年10月11日には、第36回高崎音楽祭で、エクアドルの先住民の音楽家たちによるグループSISAYとのツーマン公演「松井常松 × SISAY」を開催。ロックとアンデス音楽という異色の組み合わせによる一夜限りのセッションでした。このときの共演曲「Delirious Moon」は、2025年11月に公式YouTubeで公開されています。サポートには稲葉智さん、松本直樹さんらが参加したことも公式サイトで告知されていました。
2026年秋は制作に集中
気になる今後についてですが、松井さんは2026年6月の大阪公演後、今年の秋は制作活動に集中するため、ライブ活動は控える予定だと公式サイトで明かしています。実際、2026年の第37回高崎音楽祭の公演一覧には松井さんの名前は見当たりません。
オリジナルアルバムとしては2018年の『liquid』以来、まとまった新作の発表からは時間が空いています。この秋の制作期間を経て、どんな作品が届くのか。ファンとしては期待が高まるところですね。
さらに2026年9月8日、66歳の誕生日には公式サイトで祝福への感謝をつづり、これから先も今以上に好きなことをして、ファンと一緒に楽しく歳を重ねていきたい、という趣旨の思いを伝えています。
06まとめ
BOØWYのベーシスト・松井恒松さんは、解散後に表舞台から姿を消したように思われがちですが、実際には「松井常松」として30年以上にわたってソロ活動を続けてきました。直立不動でダウンピッキングを刻んでいた青年は、いまアコースティックギターを抱えて自分の歌を届けるシンガーになっています。
松井恒松 2026年現在まとめ
- 現在は「松井常松」の名で活動中。表記変更は1992年頃
- 1989年のソロデビュー以降、2018年の『liquid』まで多数のアルバムを発表
- アコースティックライブ「ナイロンナイツ」は2026年で20年目。6月に渋谷と大阪で公演
- ラジオ高崎の冠番組「松井常松 SOLID SOUNDS」は2012年から続く長寿番組
- 2025年10月には高崎音楽祭でSISAYと異色のセッションを披露
- 2026年秋はライブを控え、制作活動に集中すると公表
「消息不明」ではなく、自分のペースで、自分が本当にやりたい音楽だけを続けてきた。それが松井さんの「今」です。もしBOØWYのベースの音が今も耳に残っているなら、次の「ナイロンナイツ」で、歌う松井さんの姿を確かめてみてはいかがでしょうか。制作期間を経て届くであろう新しい音も、楽しみに待ちたいと思います。