曲名を聞いただけで、あのエキゾチックなメロディーが自然と頭に流れてくる――そんな方も多いのではないでしょうか。1978年、「飛んでイスタンブール」で一躍お茶の間の人気者になった庄野真代さん。ちょっと異国の香りがする歌声と、自由な雰囲気をまとった佇まいは、ニューミュージック全盛期を象徴する存在でした。ただ、テレビで見かける機会が減ってからは「あの人は今どうしているんだろう?」と気になっていた方もいるはずです。実は庄野さん、2026年にデビュー50周年を迎え、今も現役でステージに立っています。しかもその間に、世界一周、45歳での大学入学、NPOの設立、子ども食堂の運営と、驚くほど濃い人生を歩んできました。この記事では、全盛期の活躍から現在の活動までをじっくりたどっていきます。

01庄野真代のプロフィール

名前
庄野真代(しょうの まよ)
生年月日
1954年12月23日(71歳)
出身地
大阪府大阪市
デビュー
1976年(日本コロムビア)
代表曲
「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」
学歴
法政大学人間環境学部卒業、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修了
肩書き
シンガーソングライター、国境なき楽団PLUS代表、子ども食堂「しもきたキッチン」主宰

歌手、学生、NPO代表、子ども食堂の主宰者と、プロフィールの肩書きだけでも一人の人生とは思えないほど多彩です。

02全盛期の活躍――飛んでイスタンブールの時代

フォーク音楽祭をきっかけにデビュー

庄野真代さんは大阪の出身。1976年、フォーク音楽祭をきっかけに日本コロムビアからデビューしました。デビュー当初はアルバム『あとりえ』を発表するなど、自ら曲を書くシンガーソングライターとして活動をスタートさせています。当時はフォークからニューミュージックへと音楽シーンが大きく移り変わっていた時期。その流れの中で、庄野さんは都会的で少し大人びた歌い手として、じわじわと存在感を高めていきました。

1978年、「飛んでイスタンブール」の大ヒット

転機になったのが1978年に発表した「飛んでイスタンブール」です。トルコの古都を舞台にした異国情緒あふれる歌詞と、軽やかで洒落たメロディーが大きな話題を呼び、たちまち大ヒット。海外旅行がまだ一般の人にとって憧れだった時代に、この曲はリスナーを見知らぬ街へと連れて行ってくれるような魅力を持っていました。同じ年にはこの曲でNHK紅白歌合戦への出場も果たし、庄野さんは一気に全国区の人気歌手になります。

「モンテカルロで乾杯」で続いた快進撃

ヒットは一曲で終わりませんでした。続けて発表した「モンテカルロで乾杯」もヒットし、「旅する歌姫」というイメージがすっかり定着します。イスタンブール、モンテカルロと、地図の上を軽やかに移動していくような楽曲群は、当時のニューミュージックの中でもかなり個性的な存在でした。今でこそ「一発屋」のように語られることもありますが、実際にはヒット曲を連発し、ニューミュージック時代を代表するシンガーの一人として確かな足跡を残しているんです。

歌手だけにとどまらない表現の場

その後も庄野さんは、作詞・作曲、舞台など活動の幅を広げていきます。公式プロフィールによれば、1988年にはミュージカル「アニー」に出演。1991年にはシンガポールのEMIからデビューするなど、日本の外へ目を向けた活動も展開しました。ヒット曲のイメージにとらわれず、自分の興味の赴くままに表現の場を探してきたことがよくわかります。

03世界一周と45歳からの学び直し

庄野さんの人生を語るうえで欠かせないのが、思い切った「方向転換」の数々です。まず人気絶頂期の1980年、庄野さんは活動を休止して世界一周旅行に出発します。訪れたのは28カ国132都市。ヒット曲で異国を歌っていた人が、本当に世界を見に行ってしまったわけです。帰国後は音楽活動と並行して、旅の経験をもとにした執筆や公演も展開していきました。

そして、もう一つの大きな転機が40代に訪れます。ステラnetに掲載されたインタビュー(月刊誌『ラジオ深夜便』2026年9月号より)によれば、40代で事故やけがが重なったことをきっかけに、人生を見つめ直したといいます。そこで選んだのが、なんと大学への進学でした。2000年、45歳で法政大学人間環境学部に社会人入試で入学。在学中の2002年にはイギリスのウェストミンスター大学に留学し、卒業後は早稲田大学大学院アジア太平洋研究科へ進んで、2006年に修了しています。

同じインタビューでは、大学に入った理由の一つとして「環境の勉強をする」「キャンパスライフを経験する」ことを挙げていました。人気歌手としての地位を築いたあとに、もう一度学生として学び直す。言葉にすると簡単ですが、実行に移せる人はそう多くありません。

  • 1976年フォーク音楽祭をきっかけに日本コロムビアからデビュー。
  • 1978年「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」がヒット。NHK紅白歌合戦に出場。
  • 1980年活動を休止し世界一周旅行へ。28カ国132都市を巡る。
  • 1988年ミュージカル「アニー」に出演。
  • 1991年シンガポールのEMIからデビュー。
  • 2000年45歳で法政大学人間環境学部に入学。
  • 2002年英国ウェストミンスター大学に留学。
  • 2006年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科を修了。NPO法人国境なき楽団を設立。
  • 2010年参議院議員選挙に民主党から立候補するも落選。
  • 2014年法政大学で兼任講師に就任。
  • 2016年毎年恒例の周年コンサート「Domestic Mayo Line」がスタート。
  • 2018年東京・世田谷で子ども食堂「しもきたキッチン」をスタート。
  • 2019年NPO法人国境なき楽団が解散。以降は国境なき楽団PLUSとして活動を継続。
  • 2022年前年に悪性リンパ腫と診断され治療を受けていたことを公表。
  • 2026年デビュー50周年。大阪・東京で記念ライブを開催。

2010年には参議院議員選挙に民主党から立候補し、落選という結果に終わっています。選挙という大きな挑戦も、音楽で社会とかかわりたいという思いの延長線上にあったのかもしれません。

04音楽で社会とつながる活動

国境なき楽団と「海を渡る風」

大学院を修了した2006年、庄野さんはNPO法人「国境なき楽団」を設立しました。音楽を通じた国際協力や社会貢献を目的とした団体で、ルーツは2001年に始まった訪問コンサートの活動にさかのぼるとされます。病院や施設を訪ねる訪問コンサート、チャリティーコンサートに加えて、象徴的な取り組みとなったのが「海を渡る風」です。家庭で使われなくなった楽器を集め、途上国をはじめ世界の子どもたちに届けるというもので、現地を訪れて楽器を手渡し、交流コンサートも行ってきました。

NPO法人としての国境なき楽団は2019年12月31日に解散しましたが、活動そのものは「国境なき楽団PLUS」として続いています。2026年5月のよろず~ニュースの記事でも、庄野さんは国境なき楽団PLUSの代表として、世界の子どもたちに楽器を贈る活動を続けていると紹介されていました。

東日本大震災の被災地とのつながり

国境なき楽団は、東日本大震災の被災地とも深くかかわってきました。共同通信のメディア「OVO」では、被災した地域の生地を使ってタペストリーを作り、世界各国へ届ける取り組みが紹介されています。歌を届けるだけでなく、ものづくりを通じて被災地と世界をつなぐという発想は、世界を旅してきた庄野さんらしいものだと感じます。

子ども食堂「しもきたキッチン」

もう一つの大きな柱が、2018年から主宰している子ども食堂「しもきたキッチン」です。東京・世田谷の下北沢エリアで、子どもたちに無料または低価格で食事を提供しています。報道によれば、このきっかけには庄野さん自身の子ども時代の記憶があるといいます。給食費を払えない同級生を、お母さんが家に招いてごく自然にご飯を食べさせていた――そんな母の姿を見て育ったことが、今の活動の原点になっているそうです。決して裕福ではなかった家庭で、食卓を囲むことの温かさを知っていた。だからこそ、地域の子どもたちに居場所と食事を届けたいという思いにつながっているのでしょう。

大学で教える側へ

かつて学生として大学に通った庄野さんは、2014年からは法政大学で兼任講師として教壇にも立ってきました。担当してきたのは「アーティストと社会貢献」をテーマにした授業とされます。歌手として、NPOの代表として、現場で積み重ねてきた経験そのものが授業の題材になっているわけで、学生にとってはなかなか得がたい講義だったのではないでしょうか。

052026年現在の活動

デビュー50周年の記念ライブ

2026年は、庄野さんにとってデビュー50周年という大きな節目の年です。10月3日には地元・大阪のビルボードライブ大阪で「庄野真代 50th Anniversary Special Live ~DOMESTIC MAYO LINE 2026」を開催。ソロとしては2年ぶりの同会場への登場で、1日2公演が行われました。

さらに10月12日には東京・新宿のこくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロで「庄野真代デビュー50周年記念コンサート~Domestic Mayo Line 2026 in Tokyo」を開催。公演情報によると、初期の作品から代表曲、最新作までをフルバンド編成のオリジナルアレンジで披露する内容で、リクエストコーナーも設けられました。チケットは完売となっており、今も多くのファンが庄野さんの歌を待っていることがうかがえます。

この「Domestic Mayo Line」は2016年に始まった毎年恒例のコンサートです。2022年のデイリースポーツのインタビューで庄野さんは、当初はあまり意味を感じていなかったものの、毎年振り返る場として大きな意義があると考えるようになったと語っていました。また公式サイトでは、2027年1月23日に東京・大手町でデビュー50周年記念公演が予定されていると告知されています。50周年のお祝いは、年をまたいで続いていきそうです。

全国各地での公演と仲間との共演

記念ライブ以外にも、2026年は各地でステージに立っています。4月26日には東京・南青山MANDALAで「庄野真代 Live 2026 in Aoyama」を開催。7月25日には岩手県の釜石市民ホール TETTOで、渡辺真知子さん、タケカワユキヒデさん、N響団友オーケストラと共演し、「飛んでイスタンブール」などを披露するステージに出演しています。

今後も11月2日には愛媛・松山で麻倉未稀さんとの公演、11月23日には埼玉・川越での公演「時代を彩る歌姫たち」が予定されています。同世代のアーティストと共演する機会が多いのも、最近の庄野さんの活動の特徴です。

5月には、80年代アイドルが中心のコーラスグループ「ネオ☆スターズ」が庄野さんの楽曲「平和のうた」を歌うことになり、そのお礼として銀座で食事会が開かれたことも報じられました。麻倉未稀さん、西村知美さん、田中美奈子さんら、世代を超えた仲間に囲まれる様子からは、庄野さんの人望の厚さが伝わってきます。

船旅と山歩き――止まらない好奇心

旅好きは今も健在です。公式ブログでは2025年末から2026年初めにかけて「漂流日誌」と題した連載が続き、タヒチなど南太平洋を巡る旅の様子がつづられていました。どうやら船での長旅だったようで、4月の南青山公演は帰国後初のライブとして告知されていました。

2026年7月には、Facebookに鎌倉アルプスを歩いたときの近影を投稿したことが西スポWEB OTTO!で報じられています。標高159メートルの大平山に仲間5人で登り、山頂でサンドイッチを食べたというエピソードで、「日本百低山」を趣味にしてもいいなと山の本を買ったとも明かしていました。71歳にしてなお、新しい楽しみを見つけ続けているんですね。

病気と向き合いながら歌い続ける

庄野さんは2022年、前年の2021年に濾胞性リンパ腫(悪性リンパ腫の一種)と診断され、治療を受けていたことを自ら公表しています。当時のデイリースポーツの取材では、病気を「敵」ではなく自分の細胞として受け止めているという前向きな言葉も残していました。2026年8月にステラnetに掲載されたインタビューでも、病気と向き合いながら国内外で活動を続けている様子が紹介されています。その中で、自身の性格についてこう語っていました。

悩む時間が短いんです 出典:ステラnet(月刊誌『ラジオ深夜便』2026年9月号より) 2026年8月17日

この一言に、世界一周も、45歳での大学入学も、NPOの設立も、すべて説明がついてしまう気がしませんか。迷ったらまず動いてみる。その軽やかさこそが、半世紀にわたって庄野さんを前へ進ませてきた原動力なのかもしれません。

音楽が再び世界へ

もう一つうれしい話題が、旧作の再評価です。デイリースポーツの記事によれば、近年のシティポップブームを背景に、庄野さんの過去の楽曲が海外も含めて注目を集め、ライブ後にアナログレコードへのサインを求める若いファンも増えているといいます。2020年にはアルバム『66』も発表しており、過去のヒットに頼るだけでなく、今の作品も届け続けています。

06まとめ

「飛んでイスタンブール」の大ヒットから半世紀近く。庄野真代さんは、ヒット曲の人というイメージにとどまらず、旅をし、学び直し、音楽を通じて社会とつながる道を自分で切り開いてきました。デビュー50周年の2026年も、記念ライブや各地の公演、子ども食堂やNPOの活動と、その歩みはまったく止まっていません。

庄野真代 2026年現在まとめ

  • 2026年にデビュー50周年を迎え、大阪・東京で記念ライブ「Domestic Mayo Line 2026」を開催
  • 2027年1月23日には東京・大手町で50周年記念公演が予定されている
  • 釜石、松山、川越など各地の公演で同世代アーティストとも共演
  • 国境なき楽団PLUSの代表として、世界の子どもたちに楽器を届ける活動を継続
  • 2018年から東京・下北沢で子ども食堂「しもきたキッチン」を主宰
  • 45歳で大学に入学し、大学院修了後は法政大学で教壇にも立ってきた
  • 病気を公表したあとも、船旅や山歩きなど好奇心のままに活動中

あの頃、ラジオやテレビから流れてきた「飛んでイスタンブール」に心を躍らせた方は、ぜひもう一度、今の庄野さんの歌声に耳を傾けてみてください。50年分の旅と経験が詰まった歌は、きっとあの頃とはまた違った響きで届くはずです。