「とんでとんでとんでとんで、とんでとんでとんで……」。一度聴いたら頭から離れないあのフレーズを、カラオケで誰かが歌っているのを聞いたことがある人は多いはずです。1978年、ヤマハのポプコンと世界歌謡祭でダブルグランプリを獲得した「夢想花」。歌っていたのは、大阪出身の長髪の青年・円広志さんでした。その後テレビで見かける機会が減って「あの人は今?」と思っている方もいるかもしれません。でも関西に住んでいる人なら、毎朝のように顔を見ている存在なんです。この記事では、全盛期の歩みから作曲家・タレントとしての再起、そして73歳になった2026年現在の活動まで、じっくり紹介していきます。
01円広志のプロフィール
- 名前
- 円広志(まどか ひろし)
- 本名
- 篠原義彦(しのはら よしひこ)
- 生年月日
- 1953年8月21日(73歳)
- 出身
- 高知県安芸郡野根町(現・東洋町)生まれ、大阪府育ち
- 学歴
- 追手門学院大学経済学部卒業
- 職業
- 歌手・シンガーソングライター・作曲家・タレント
- 代表曲
- 「夢想花」「ハートスランプ二人ぼっち」、作曲作品に森昌子「越冬つばめ」
- 所属
- オフィスとんで(個人事務所)
事務所名が「とんで」というところに、代表曲への愛着とユーモアがにじんでいますよね。
02全盛期の活躍――夢想花で世界歌謡祭の頂点へ
大阪で熱狂を生んだロックバンド「ZOOM」
円さんの音楽人生のスタートは、実はロックでした。高知で生まれ、大阪で育った円さんは、小学生のころに映画『禁じられた遊び』のテーマ曲に感動したこと、親戚の家にあったアコースティックギターに触れたことがきっかけで音楽に目覚めたとされています。中学時代には寺内タケシさんやザ・ベンチャーズに憧れてエレキギターを手にし、バンドを組んで作詞・作曲も始めました。
追手門学院大学在学中に結成したのが、ロックバンド「ZOOM」。円さんはボーカルを担当し、海外のハードロックバンドのカバーを得意としていました。1974年にはヤマハ音楽振興会主催のロックフェス「大阪8・8ロックデイ」で入賞し、関西ではよく知られた存在になります。のちに大ヒットを飛ばす世良公則さんが、当時のZOOMのライブで若者たちが熱狂していた様子を後年語っているほどです。「とんでとんで」のイメージしかない方には、ちょっと意外な過去かもしれません。
一か八かのポプコン挑戦と「夢想花」
ところがZOOMは、メンバーの就職などを理由に1977年に解散してしまいます。円さんはデモテープを作りながら、コンサート会場の警備のアルバイトをしていたそうです。そんななか、会場でヤマハの関係者と偶然再会したことがきっかけとなり、1978年のヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場するチャンスをつかみます。
本人いわく「一か八かの賭け」だったというこの挑戦で歌ったのが、自作の「夢想花」でした。同曲は第16回ポプコンでグランプリ、さらに同年の第9回世界歌謡祭でもグランプリを獲得。一気に全国区のアーティストへと駆け上がります。
1978年11月、デビュー曲が大ヒット
「夢想花」は1978年11月21日にデビューシングルとして発売され、約80万枚を売り上げる大ヒットとなりました。「とんで」「まわって」というフレーズを何度も繰り返す独特の歌詞は、耳に残るインパクトがありながら、じつは失恋した女性の心情を細やかに描いた切ない歌でもあります。
デビュー直後は歌番組への出演が相次ぎ、1日に10社近くのインタビューを受けるほど多忙を極めたといいます。長髪で熱唱するあの姿を、テレビの前で覚えている方も多いのではないでしょうか。
03転機――作曲家とタレントとしての再出発
ただ、華々しいデビューのあと、「夢想花」を超えるヒットにはなかなか恵まれませんでした。デビューから半年ほどでテレビ出演は減っていったとされます。本人が後年語ったところでは、印税が入り続けていたこともあり、しばらくは気ままに過ごす日々があったそうです。そして1982年、蓄えが底をつき、東京から大阪へ戻ることになりました。
ここからの巻き返しがドラマチックなんです。1983年、知り合いのレコード会社の宣伝担当者から「演歌調の曲を作ってみて」と声をかけられ、作詞家・石原信一さんの詞に曲をつけます。それが森昌子さんの「越冬つばめ」でした。本名の篠原義彦名義で作曲したこの曲は大ヒットし、森さんはこの曲で同年の第25回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞、NHK紅白歌合戦でも歌唱しています。
さらに「越冬つばめ」がヒットしていたころ、それまで面識のなかった島田紳助さんから手紙が届いたことが、バラエティ番組に出演するきっかけになったと伝えられています。やしきたかじんさん、上沼恵美子さんといった関西の大物との縁も広がり、円さんは関西のテレビに欠かせないタレントへと変わっていきました。
- 1974年ロックバンドZOOMで「大阪8・8ロックデイ」に入賞。関西で人気バンドに。
- 1977年ZOOMが解散。アルバイトをしながらデモテープ制作を続ける。
- 1978年「夢想花」で第16回ポプコン、第9回世界歌謡祭のグランプリを獲得。11月21日にデビュー。
- 1982年東京から大阪へ戻る。
- 1983年8月作曲を手がけた森昌子「越冬つばめ」が発売され大ヒット。
- 1988年『探偵!ナイトスクープ』開始。自作の「ハートスランプ二人ぼっち」がテーマ曲に。
- 1994年1月「ハートスランプ二人ぼっち」がシングルとして発売される。
- 2008年6月関西テレビ『ごきげんライフスタイル よ~いドン!』のMCに起用される。
- 2010年7月新神戸オリエンタル劇場の音楽アドバイザーに就任。
- 2024年6月箕面市立文化芸能劇場で記念コンサートに出演。デビュー46年目に。
- 2025年11月『よ~いドン!』のオリジナルソング「百人力」が完成。カンテレのフェスでは自作の「みんなで乾杯!」で開幕。
- 2026年4月6年半ぶりの『よ~いドン!歌謡祭』にMC・歌い手として出演。
04深掘り――歌い手より書き手としての円広志
「一発屋」という自虐の裏にある作曲家の顔
バラエティでの円さんといえば、島田紳助さんに「一発屋」といじられるお約束のやりとりを覚えている方も多いと思います。でも、こうして経歴を並べてみると、むしろ「書き手」としての仕事のほうがずっと長く続いてきたことがわかります。
「越冬つばめ」は演歌・歌謡曲のスタンダードとして今も歌い継がれていますし、『探偵!ナイトスクープ』のオープニングで流れる「ハートスランプ二人ぼっち」は、番組とともに関西の人たちの耳に刻まれてきました。1994年1月21日のシングル発売当日には、円さん自身が番組のオープニングでフルコーラスを熱唱したというエピソードも残っています。2022年にはNHK『わが心の大阪メロディー』でこの曲を約29年ぶりにテレビで歌唱し、話題になりました。
音楽が「生まれてくる」という感覚
円さんの音楽観がよく表れているのが、2024年に箕面市立文化芸能劇場のグランドオープン記念コンサートに出演した際のインタビューです。デビュー46年目を迎えた音楽活動について「年々楽しくなっています」と語り、曲づくりについては作業として「作る」のではなく、「生まれてくる」メロディーや詞を見逃さないようにしている、という趣旨の話をしていました。
ベテランになると「職人的にこなす」方向に行きがちですが、円さんは逆に、ひらめきを受け取るアンテナのほうを大事にしているんですね。こういう姿勢が、70代になっても新曲を書き続けられる理由なのかもしれません。
後進を支える裏方としての仕事
円さんはプレーヤーとしてだけでなく、音楽の現場を支える側にも回ってきました。大阪・名古屋でレンタル音楽スタジオ「studio246」を創業・経営しており、スタジオ名には「いつかまた東京で活躍しよう」という思いを込めて、東京を起点とする国道246号の名前をつけたとされます。アマチュア時代にこのスタジオを使っていたプロのミュージシャンもいるそうです。
また2010年からは新神戸オリエンタル劇場の音楽アドバイザーを務め、公演の企画やプロモーションに助言してきました。テレビの明るいキャラクターの奥に、関西の音楽シーンを地道に支えてきた顔があるわけです。
052026年現在の活動
『よ~いドン!』のメインMCとして朝の関西を盛り上げる
2026年現在、円さんの活動の中心にあるのは、カンテレの朝の情報番組『よ~いドン!』(月~金曜、関西ローカル)です。2008年6月の放送開始からメインMCを務め、2026年で18年を超える長寿番組になりました。名物コーナー「となりの人間国宝さん」では、街をぶらぶら歩きながら商店や地元の人を訪ね、「人間国宝」に認定していくおなじみのロケを続けています。
2025年12月には、フジテレビ系のトーク番組『おかべろ』に出演し、「となりの人間国宝さん」の裏側について「オールカットになったロケは何本もある」と明かして笑いを誘いました。2026年6月17日には番組を1日休演したものの、翌18日の生放送で元気に復帰。視聴者から寄せられた声について、次のように話しています。
本当にね、家族のような温かいコメントをいただきまして、ご心配をおかけしましたが、こうやって元気に頑張っております 出典:ORICON NEWS 2026年6月18日
最後には「『よ~いドン!』は永遠に“不潔”です!」とボケて、共演者から「不滅です!」とツッコミが入ったそうで、相変わらずの円節でした。
番組から生まれた新曲「百人力」と「みんなで乾杯!」
「歌手としての現在」で注目したいのが、番組発のオリジナル曲です。演歌歌手の辰巳ゆうとさんが歌う『よ~いドン!』オリジナルソング「百人力」は、円さんが作詞・作曲を担当。2025年11月に完成が発表され、同年秋のカンテレのフェスで辰巳さんが生歌唱、2026年1月9日から配信がスタートしました。辰巳さんの新曲披露の場で円さんは、辰巳さんが『よ~いドン!』ファミリーに加わってくれるなら「それこそ“百人力”ですよ」と話しています(東京スポーツ 2026年1月18日)。
さらに2025年11月21日に開幕した『カンテレ祭り!2025 よ~いドン!&とれたてっ!フェス』では、円さんが作詞・作曲したオリジナルソング「みんなで乾杯!」に合わせて来場者と乾杯し、会場を盛り上げました。このとき、関東でも放送されるようになった番組とのコラボにちなんで全国ネットへの意欲を問われると、「全国ネットとなるとつらいなあ」とポロリ。東京の人には存在を忘れられている、という自虐ネタで笑わせたと報じられています(ORICON NEWS 2025年11月21日)。
6年半ぶりの『よ~いドン!歌謡祭』でステージへ
2026年4月11日には、大阪・オリックス劇場で『よ~いドン!歌謡祭』が開催されました。2019年以来、6年半ぶりの開催です。円さんは番組MCとして、そして歌い手として出演。共演者には松本伊代さん、辰巳ゆうとさん、天童よしみさん、秋川雅史さんらが発表されていました。
開催発表の際、円さんはカンテレ公式のニュースサイトで「当日は、私も歌います」とコメント。「ロケのやり過ぎで喉を痛めないように気を付けながら」と準備への意気込みを語りつつ、「私の圧倒的歌唱力もあり(笑)」と笑いも忘れませんでした。テレビで出会った視聴者と、今度は歌や音楽を通じて交流できる場にしたい、という思いも明かしています。
千原ジュニアさんとの縁から生まれた「オクラホマミキサー」
2026年9月28日の『よ~いドン!』には千原ジュニアさんがゲスト出演。ジュニアさんがMCを務める『千原ジュニアの座王』のライブツアー大阪公演(2026年11月1日、大阪城ホール)で、円さん制作のオリジナル版「オクラホマミキサー」が使われることが発表されました。イス取り中に流れる定番曲を、さまざまなアーティストがアレンジしてきた企画です。
円さんはほかのアレンジを聴いているうちに「これ引っ張られたらあかんな」と思って途中で聴くのをやめ、自分のイメージだけで作ったと明かし、「“会心の作”ですよ!」と胸を張りました(ORICON NEWS 2026年9月29日)。ジュニアさんには以前から番組などで世話になってきた恩義があるそうで、普段はドラマ出演を断ることが多いなか、ジュニアさん主演の『新・ミナミの帝王』にも出演したと語っています。73歳にして、こうしたコラボの依頼に新曲で応えられるのは、やっぱり現役の作曲家だからこそですよね。
06まとめ
「夢想花」のイメージから「一発屋」と思われがちな円広志さんですが、実際には「越冬つばめ」や「ハートスランプ二人ぼっち」など、時代ごとに人の記憶に残る曲を生み出してきた人でした。2026年の今は、関西の朝の顔として『よ~いドン!』のMCを続けながら、番組のための新曲を書き、ステージで歌い、ほかの番組とのコラボにも曲で応えています。
円広志 2026年現在まとめ
- 1978年「夢想花」でポプコン・世界歌謡祭のダブルグランプリ、約80万枚のヒット
- 本名・篠原義彦名義で森昌子「越冬つばめ」を作曲し、作曲家として再起
- 2008年から関西テレビ『よ~いドン!』のメインMCを務め、2026年も継続中
- 番組オリジナルソング「百人力」(歌・辰巳ゆうと)と「みんなで乾杯!」を作詞作曲
- 2026年4月、6年半ぶりの『よ~いドン!歌謡祭』にMC兼歌い手として出演
- 2026年11月の『千原ジュニアの座王』大阪公演で使われる「オクラホマミキサー」を制作
- 音楽スタジオ経営や劇場の音楽アドバイザーなど、裏方としても関西の音楽を支える
「とんでとんで」の円さんは、どこにも消えていませんでした。むしろ毎朝のテレビとステージの両方で、50年近く音楽と笑いを届け続けています。関西以外にお住まいの方も、配信で「百人力」を聴いてみたり、久しぶりに「夢想花」を口ずさんでみたりすると、円さんの「今」をちょっと身近に感じられるかもしれません。