高くて、少し掠れていて、どこか少年みたいな声。80年代後半から90年代にかけて、FMラジオやCMから流れてきたあの独特の歌声を覚えている方も多いのではないでしょうか。「You’re The One」でデビューし、「ないしょLOVE CALL」で化粧品CMの顔になり、自分で詞も曲もアレンジも手がけてしまう――当時としてはかなり珍しいタイプのシンガーソングライター、種ともこさん。気がつけばテレビの歌番組で見かけることはほとんどなくなりましたが、では今は音楽をやめてしまったのか、というと、まったくそんなことはありません。2026年現在、種さんはデビュー40周年のアニバーサリーツアーの真っ最中です。全盛期の歩みから、表舞台の露出が減っていった経緯、そして千葉・外房での暮らしまで、じっくりまとめました。
01種ともこのプロフィール
- 名前
- 種ともこ(たね ともこ)
- 生年月日
- 1961年11月7日(64歳)
- 出身地
- 京都府乙訓郡長岡町(現・長岡京市)
- 学歴
- 同志社大学文学部哲学科卒業
- 職業
- シンガーソングライター、作詞家、アレンジャー
- デビュー
- 1985年12月「You're The One」
- 代表曲
- 「You're The One」「ないしょLOVE CALL」「笑顔で愛してる」「MESSAGE #9」
- 主な仕事
- 映画『舞妓はレディ』劇中歌の作詞、多数のアーティストへの楽曲提供・編曲
- 現在の拠点
- 千葉・外房エリア(2019年に移住)
publishDate時点で64歳。哲学科出身という経歴を知ると、あの独特な言葉選びの理由が少しわかる気がしますね。
02全盛期の活躍――唯一無二の声と言葉
オーディションからデビューまで
種ともこさんの出発点は、1984年の『CBS・ソニーオーディション』でした。ここで優秀賞を獲得したのが、プロへの扉を開くきっかけになります。翌1985年6月に京都から上京し、同年12月に「You’re The One」でレコードデビュー。この曲はANAのスキーツアーキャンペーンソングに起用され、いきなりタイアップ付きのスタートとなりました。
叔父の影響で子どもの頃から洋楽に親しみ、中学では声楽を学び、大学ではビートルズに夢中になった――公式プロフィールでたどれる音楽的な下地は、そのまま彼女の楽曲の幅広さにつながっています。
武部聡志プロデュースの初期三部作
デビュー直後の3枚のアルバム、『いっしょに、ねっ。』(1986年)、『みんな愛のせいね。』(1986年)、『Che Che-Bye Bye』(1987年)をプロデュースしたのは、後に数々のトップアーティストを手がける武部聡志さんでした。計算し尽くされたシンセサイザーの積み重ねによる緻密なアレンジが特徴とされ、80年代の都会的なサウンドの中に、種さんのエキセントリックな歌声と言葉遣いが乗る。この組み合わせが、ほかの誰にも似ていない世界をつくりました。
ちなみに『いっしょに、ねっ。』のジャケットは、当時のスタッフが反対するほど型破りなものだったと本人が後年語っています。デビュー作からすでに「自分の感覚を譲らない人」だったわけです。
CMとタイアップで広がった知名度
種さんの声がお茶の間に一気に広がったのは、CMの力が大きかったと言えます。1987年の「ないしょLOVE CALL」はコーセー化粧品のCMソングに起用され、1989年の「笑顔で愛してる」はテレビ番組の主題歌に。2007年にはハウス食品「ジャワカレー」のCMで『おひさま』が使われるなど、タイアップとの相性の良さは長く続きました。
セールス面でのピークとされるのが1990年のアルバム『音楽』。シングル21枚、アルバム21枚という数字が示すとおり、この時期の種さんはコンスタントに作品を送り出し続けていました。
すべて自分でやる、という原則
種ともこさんを語るうえで外せないのが、作詞・作曲・アレンジ・プロデュースまで自分で担うスタイルです。1980年代当時、女性のシンガーソングライターがここまで制作の全工程に関わる例は決して多くありませんでした。「歌わされる人」ではなく「つくる人」としてスタートしたこと。これが、後にアーティスト活動と並行して作家仕事を広げていく土台になります。
03メディア露出が減っていった理由と歩み
大手レーベルから離れ、活動の重心を移していった――というのが、種さんの90年代後半以降のおおまかな流れです。1985年から1997年までCBS・ソニー(のちのソニー・ミュージック)に在籍し、1999年にMAGNET RECORDS、その後はインディーズレーベルを主戦場に切り替えていきます。
ここで大事なのは、これが「干された」とか「売れなくなった」という単純な話ではないことです。テレビの歌番組に出て新曲を売る、という従来のサイクルから距離を置き、ライブ、楽曲提供、編曲、音楽監督、そして後進の指導へと仕事の幅を広げていった。露出が減ったぶん、見えにくい場所での仕事が増えていったわけですね。
2007年から2015年までは国立音楽院のシンガーソングライター科で講師を務めています。2011年の東日本大震災後には「種からつなげよう〜笑ってて〜」というチャリティライブを立ち上げ、約5年間で30公演を重ね、約255万円を寄付したと公表されています。派手な発信はしないけれど、手は動かし続けている。そういう時期でした。
- 1984年『CBS・ソニーオーディション』で優秀賞を受賞。
- 1985年12月「You're The One」でデビュー。ANAスキーツアーキャンペーンソングに起用される。
- 1990年アルバム『音楽』を発表。セールス面でのピークとされる。
- 1997年CBS・ソニー系レーベルでの活動を終え、以降はインディーズ中心へ。
- 2007年国立音楽院シンガーソングライター科の講師に就任(〜2015年)。
- 2011年5月震災復興支援のチャリティライブ「種からつなげよう〜笑ってて〜」をスタート。
- 2014年周防正行監督の映画『舞妓はレディ』で劇中歌11曲の作詞を担当。
- 2016年デビュー30周年記念アルバム『DAILY BREAD』をリリース。
- 2017年新作『rolling』『バトン』を発表。
- 2019年「海の近くで暮らしたい」という思いから千葉・外房エリアへ移住。
- 2025年7月移住先の長南町で初のライブを開催。
- 2026年7月『種ともこ 40th anniversary tour withトランスパランス』を発表。
04書き手としての種ともこ
提供曲という、もうひとつの本業
種ともこさんの名前は、自分名義の作品以上に、クレジットの中で見かけることが多い人です。楽曲提供やアレンジを手がけた相手には、國府田マリ子さん、新居昭乃さん、内田有紀さん、相田翔子さん、森口博子さん、長山洋子さんなど、ジャンルも世代もばらばらのアーティストが並びます。
アイドル、声優、歌謡曲、アニメソング――これだけ異なる現場に呼ばれ続けるというのは、自分の色を押し付けるのではなく、相手の声の良さを引き出す書き方ができるということでもあります。新居昭乃さんとは親交が深いことでも知られています。
アニメ・子ども番組との相性の良さ
1998年のアニメ『ガサラキ』では、オープニングテーマ「MESSAGE #9」を担当しました。ストレートなアニソンというより、独特の浮遊感を持った一曲で、この作品をきっかけに種さんを知ったという層も一定数います。
またNHKの『天才てれびくん』シリーズでは「ミュージックてれびくん」のコーナーに楽曲を提供。子どもたちが歌うことを前提にした曲づくりは、言葉の選び方がそのまま試される仕事です。長く声をかけられ続けているのは、そこに確かな腕があるからでしょう。
映画『舞妓はレディ』での作詞
種さんの作家仕事の中でも特筆すべきなのが、2014年公開の周防正行監督作品『舞妓はレディ』です。ミュージカル映画であるこの作品で、種さんは劇中歌11曲の作詞を周防監督とともに担当し、さらに歌唱指導や京都弁の指導まで手がけました。京都出身であることが、そのまま仕事の強みになった好例です。
そのほか、2006年の映画『虹の女神 Rainbow Song』の主題歌「The Rainbow Song」も種さんの手によるもの。自分が歌わない場所でも、作品の世界を言葉で立ち上げてきた人なのです。
052026年現在の活動
外房での暮らしが、音楽を変えた
現在の種ともこさんを語るうえで、いちばんの転機は2019年の移住でしょう。「海の近くで暮らしたい」という長年の思いから千葉・外房エリアに拠点を移し、音楽だけに閉じていた生活が大きく変わっていきました。外房経済新聞のインタビューでは、こんなふうに語っています。
移り住むまでは、音楽以外のことに時間をかけるのはもったいないと思っていた。田舎暮らしを始め、海や里山の自然に触れ、多くの人との出会いを通し豊かさを感じることが増えた。 出典:外房経済新聞 2025年3月27日
同じ記事では「都会とは違う人との付き合いがある。今までは音楽を介さずに人と知り合うことがほとんどなかったが、たった6年の間に多くの友人ができた」とも話しています。竹を切る作業を手伝ったり、庭仕事をしたりという日常の話も伝わってきていて、なんというか、無理のない暮らし方に落ち着いたのだなと感じます。
移住先での初ライブと「restart!」シリーズ
2025年7月12日、種さんは移住先である長南町のカフェ&イベントスペースで、地元での初ライブを開催しました。ツアーの千秋楽をあえて移住先で迎えるという組み方に、この土地で出会った人たちへ音楽を届けたいという気持ちがよく表れています。
同時期から続いているのが、東京・中目黒のCafe & Live spot FJ’sを舞台にした「restart!」シリーズです。2025年11月8日の「restart! 3」、2026年3月14日の「restart! 4」はいずれも早々にSOLD OUT。さらに2025年6月の東京公演、7月の名古屋公演も完売を記録しており、キャパシティの大きな会場ではなくとも、確実に席が埋まる状況が続いています。サポートには葛岡みちさん、鹿島達也さんといった実力派が並びます。
デビュー40周年ツアー withトランスパランス
そして2026年の主役が、7月13日に発表された『種ともこ 40th anniversary tour withトランスパランス』です。公式サイトが掲げるコンセプトは「歌は、ひとりでも美しい。四人になると、もっと自由になる。」。長く弾き語りを軸にしてきた人が、あえて4人の声で挑むという趣向です。
共演するトランスパランスは、高瀬麻里子さん・渡部沙智子さん・葛岡みちさんによる3人の女性コーラスユニット。種さんとは2011年12月のデビュー25周年記念ライブでの共演以来の縁で、コーラスアレンジも手がけてきた間柄です。
ツアー日程は、10月4日(日)東京・南青山MANDALA、10月31日(土)静岡・浜松Merry You、11月1日(日)名古屋・今池パラダイス・カフェ21、11月2日(月)神戸チキンジョージ、11月29日(日)千葉・いすみ市Sorveteria Praiaの全5公演。チケット予約は7月19日に開始され、東京公演はすでにSOLD OUTとなっています。最終公演を移住した外房の地に置いているのも、今の種さんらしい組み立てだと思いませんか。
情報を追いかけるなら公式サイトとSNS
種さんの動きは、公式サイト(tomokotane.com)のNEWS・LIVEページで随時更新されています。X(旧Twitter)の@tomokotane、Instagramの@tomoko_tane、そして公式Facebookページも稼働中。ライブ追加やSOLD OUTの告知はこまめに出ているので、地方公演を狙うならチェックしておいて損はありません。
このほか、東京・代官山の「晴れたら空に豆まいて」で毎年行われている「伊豆種山ウィングス」も継続しており、2026年は8月7日(金)に開催されました。40周年という節目の年でありながら、特別なことばかりではなく、いつもの現場もきちんと回している。そのバランスが、この人の40年の長さを物語っている気がします。
06まとめ
テレビで見かけなくなった歌手を「消えた」と言ってしまうのは簡単ですが、種ともこさんの場合はまったく当てはまりません。ステージの本数も、書いた曲の数も、届けている場所も、いまだに増え続けています。ただ、その場所がテレビの前ではなくなっただけの話なのです。
種ともこ 2026年現在まとめ
- 1961年生まれ、京都府長岡京市出身。1985年12月に「You're The One」でデビューした64歳のシンガーソングライター
- 作詞・作曲・アレンジ・プロデュースをすべて自分で手がけるスタイルを、デビュー当初から一貫して続けている
- 國府田マリ子さん、新居昭乃さん、内田有紀さんらへの楽曲提供、アニメ『ガサラキ』OP、『天才てれびくん』への提供など作家仕事も豊富
- 2014年の映画『舞妓はレディ』では劇中歌11曲の作詞、歌唱指導、京都弁指導を担当
- 2019年に「海の近くで暮らしたい」と千葉・外房エリアへ移住。2025年7月に移住先で初ライブを実現
- 東京・中目黒での「restart!」シリーズは各公演がSOLD OUTするなど、ライブ活動は活発
- 2026年は『種ともこ 40th anniversary tour withトランスパランス』を10月4日の東京公演から全5公演で開催中
40年前、シンセサイザーに囲まれて都会的なポップスを歌っていた人が、いま海と里山のそばで暮らし、3人のコーラスと声を重ねながらツアーを回っている。そのあいだに彼女が書いた詞と曲は、ほかの誰かの代表曲として、あるいは映画やアニメの一場面として、たくさんの人の記憶に残りました。「あの声の人、今どうしているんだろう」と思ったなら、答えはとてもシンプルです。種ともこさんは今も、以前とまったく変わらず歌い、書き続けています。次のツアーで、ひさしぶりにあの声を確かめに行ってみるのもいいかもしれません。