「わがままジュリエット」のイントロ、「B・BLUE」の疾走感、そして東京ドームの「LAST GIGS」。1980年代のバンドブームを体験した人なら、BOØWYの音を思い出すだけで胸が熱くなるのではないでしょうか。氷室京介さんのボーカル、布袋寅泰さんのギター、松井常松さんのダウンピッキングのベース。その後ろで、サングラス姿で淡々と、しかし圧倒的なパワーで8ビートを刻み続けていたのが、ドラマーの高橋まことさんです。解散から40年近くが経った今、あのドラマーはどうしているのか、気になりますよね。実は高橋さん、72歳になった現在も現役でスティックを握り続けていて、しかも息子さんとバンドまで組んでいるんです。この記事では、BOØWY時代から解散後の歩み、故郷・福島への思い、そして2026年現在の活動までをじっくりたどっていきます。

01高橋まことのプロフィール

名前
高橋まこと(たかはし まこと)
本名
高橋信
生年月日
1954年1月6日(72歳)
出身地
福島県福島市
出身校
福島県立福島高等学校
担当
ドラムス
主な在籍バンド
BOØWY、De-LAX、GEENA、JET SET BOYS、THE FROGLETS
愛称
Mr.8BEAT

群馬出身のメンバーが多かったBOØWYのなかで、福島出身の年長ドラマーとして後ろからバンドを支えていた存在です。

02全盛期の活躍――ミスター8ビートの時代

ベンチャーズとビートルズに憧れた福島の少年

高橋さんがドラムを始めたきっかけは、ザ・ベンチャーズのメル・テイラーさんや、ビートルズのリンゴ・スターさんへの憧れだったとされています。福島で育ち、アマチュア時代にはGrape Jamというバンドを率いて、1974年に福島県郡山市で開かれた伝説的な野外イベント「ワンステップフェスティバル」にも出演しました。

1978年には長沢ヒロ&HEROに参加し、レコーディングにも加わっています。ただ、レコーディング後にバンドを離れたため、完成したアルバムのジャケットには別のドラマーの写真が使われていたという、なんとも切ないエピソードも残っています。プロの世界での下積みは決して華やかなものではありませんでした。

新宿LOFTで出会った「暴威」

運命の出会いは1981年。新宿LOFTで行われた「暴威」の初ライブを観た高橋さんは、オーディションを受けてバンドに加入します。当時、ボーカルの氷室さんやギターの布袋さんは群馬出身の若者たちで、高橋さんは彼らより年上でした。

BOØWYがまだ売れていなかった頃、高橋さんはマネキンを運ぶアルバイトをしていて、あまりの真面目な働きぶりに正社員への誘いを受けたこともあったそうです。さらに、年下メンバーの生活を支えていたという逸話も伝わっています。バンドの屋台骨は、ステージの上でも下でも高橋さんのドラムだったのかもしれません。

ちなみに、トレードマークのサングラスは、布袋さんのアイデアで始めたものなんだとか。あの無骨なルックスが、BOØWYのクールなイメージを完成させていたと感じるファンも多いのではないでしょうか。

バンドブームの頂点へ

1982年のアルバム『MORAL』でデビューしたBOØWYは、ライブハウスでの動員を着実に伸ばし、1985年のアルバム『BOØWY』あたりから一気に注目を集めます。1986年の『BEAT EMOTION』はオリコンチャートで1位を獲得し、「B・BLUE」「わがままジュリエット」といった曲が次々と支持を集めました。1987年には『PSYCHOPATH』も発表し、その勢いはとどまるところを知りませんでした。

高橋さんのドラムは、テクニックを誇示するタイプではなく、とにかくタイトでパワフルな8ビート。「Mr.8BEAT」という愛称が示すとおり、シンプルなビートを誰よりも力強く、正確に鳴らし続けることが持ち味でした。布袋さんの鋭いカッティングと松井さんのダウンピッキング、そこに高橋さんのビートが重なることで、BOØWYならではの疾走感が生まれていたわけです。

そして1987年12月24日、渋谷公会堂のステージで解散が告げられ、翌1988年4月の東京ドーム公演「LAST GIGS」をもってBOØWYは活動に幕を下ろしました。人気絶頂での解散は、今も日本のロック史に残る大きな出来事として語り継がれています。

03解散後の歩みと故郷福島への思い

BOØWY解散後、高橋さんはすぐにDe-LAXに加入し、ドラマーとしてのキャリアを続けていきます。1994年にはソロアルバム『楽しき人生』を発表し、同じ年にはギタリストの榊原秀樹さんとGEENAを結成。2006年にはTHE AURIS (SUPER) BANDにも参加するなど、特定の看板に縛られず、いろいろな場所でドラムを叩いてきました。

2007年には自伝『スネア』を出版。BOØWY時代や解散にまつわる思いを、自身の言葉で綴っています。ファンにとっては、あの4人の内側を知ることができる貴重な1冊になりました。

大きな転機となったのが、2011年の東日本大震災です。故郷・福島が震災と原発事故に見舞われるなか、高橋さんは地元出身のミュージシャンとして、音楽で福島を支える活動に力を注ぐようになります。同年6月には猪苗代町で開かれた復興イベント「GAMBARUZO!ふくしま」で、自らが率いるスペシャルバンドを務めました。主催側は「福島に足を踏み入れることが支援」と呼びかけ、風評に負けない福島の姿を発信していました。

その後も、福島復興支援プロジェクト「CROSS OVER JAPAN」を軸に、「高橋まことの復興BOOWYセッション」を継続。参加者が高橋さんと一緒にBOØWYの曲を演奏できるというユニークな企画で、公式サイトでは第23回までの開催が告知されています。2021年には福島中央テレビの番組で、布袋さんも出演した「ふくしま再興祭り」のスペシャルライブの映像が配信されたこともありました。

  • 1974年アマチュアバンドGrape Jamとして郡山の「ワンステップフェスティバル」に出演。
  • 1981年新宿LOFTで「暴威」の初ライブを観て、オーディションを経て加入。
  • 1986年アルバム『BEAT EMOTION』がオリコン1位に。
  • 1988年4月東京ドーム「LAST GIGS」でBOØWYが活動終了。De-LAXでの活動へ。
  • 1994年ソロアルバム『楽しき人生』を発表。GEENAを結成。
  • 2007年自伝『スネア』を出版。
  • 2011年6月猪苗代町の復興イベント「GAMBARUZO!ふくしま」でスペシャルバンドを率いる。
  • 2013年De-LAXを脱退。
  • 2016年6月JET SET BOYSが1stアルバム『JET SET BOYS』を発表し、初ツアーを開催。
  • 2024年1月70歳の誕生日に新宿LOFTで記念ライブ。息子KEITAさんとのTHE FROGLETSがデビュー。

04最後のバンドと親子バンドという選択

JET SET BOYSで見せた「ゼロからの挑戦」

2016年、高橋さんはボーカルの椎名慶治さん(ex:SURFACE)、ベースのtatsuさん(LÄ-PPISCH)、ギターの友森昭一さん(ex:AUTO-MOD、REBECCA)という実力者たちとJET SET BOYSを結成します。6月に1stアルバムをリリースし、新宿LOFTから始まる初ツアーを六本木EX THEATERで締めくくりました。翌2017年には2ndアルバム『BIRD EYE』を携えたツアーも行っています。

このバンドについて、高橋さんは当時「最後のバンド」と言い切っていました。BOØWYのドラマーという肩書きがあれば、昔の曲を演奏するだけでも十分に人は集まるはず。それでも新しいメンバーと新しい曲で勝負する道を選んだところに、高橋さんのドラマーとしての矜持が見える気がします。2017年のインタビュー記事でも、過去の自分たちをなぞるだけでは満足しない、ゼロから頂点を目指す、という趣旨の決意が紹介されていました。

70歳で息子と始めた2ピースバンド

そして2023年、多くのファンを驚かせたのが、息子のKEITAさんとの親子バンド「THE FROGLETS」の結成発表でした。KEITAさんは2015年結成のバンドThe Foobarsでボーカル・ギターを務めてきたミュージシャンで、THE FROGLETSでもボーカルとギターを担当。高橋さんがドラムを叩く2ピースのパンクロックバンドです。

デビューの舞台に選ばれたのは、2024年1月6日、高橋さん70歳の誕生日に新宿LOFTで開かれたアニバーサリーライブ。新宿LOFTといえば、場所は移転しているとはいえ、BOØWYがかつてライブを重ねた因縁の地です。40年以上の時を経て、同じ名前のライブハウスで息子さんとのバンドをスタートさせるなんて、なんともドラマチックですよね。この日のライブにはARBのKEITHさんらも名を連ね、まさに高橋さんのキャリアを祝う一夜になりました。

SNSでも伝わる親子の距離感

親子仲の良さも、ファンの間ではよく知られています。高橋さんがSNSで話題になった際には、KEITAさんがユーモアたっぷりの投稿で反応したこともあったそうで、堅苦しくない親子関係がうかがえます。70代の父親と息子が同じステージに立ち、ツーピースで音を鳴らす。バンドブームの時代を知る世代にとって、これほど胸に響く「その後」はなかなかないのではないでしょうか。

052026年現在の活動

THE FROGLETSで全国のライブハウスへ

2026年も、高橋さんの軸足はライブの現場にあります。THE FROGLETSは2026年2月15日に愛知・豊橋のclub KNOTとgrand space Quarkの2会場で行われるサーキットイベントへの出演が告知されていました。デジタル配信でも音源が公開されており、72歳のドラマーが息子さんと一緒にライブハウスを回っている姿は、それだけで多くのバンドマンを勇気づけているようです。

また、2026年2月22日には佐賀県のCOZ HALLで「高橋まこと&じぐろ京介」名義の公演も予定されていました。BOØWYの曲を愛するプレイヤーやカバーバンドとの共演も各地で続いていて、2025年5月には福島で「BOØWYS LOVE Vol.3 ~ Featuring 高橋まこと」といったイベントも開かれています。BOØWYの曲を、今も本人のドラムで聴ける機会があるというのは、ファンにとって本当にうれしいことですよね。

福島への思いは今も変わらず

震災以降続けてきた福島への支援も、高橋さんの活動の大切な柱です。「高橋まことの復興BOOWYセッション」は、ドラムセットを2台並べ、高橋さんが全曲に参加するという形で回を重ねてきました。公式サイトでは次回日程は未定とされていますが、「CROSS OVER JAPAN」の名前を掲げたイベントは各地のライブハウスでも開催されてきました。

音楽以外の場面でも、2022年には宮城県仙台市の企業の動画ナレーションを担当するなど、東北とのつながりを感じさせる仕事をしています。福島出身のロックドラマーとして、地元を思う気持ちは一貫しているようです。

X(旧Twitter)での率直な発信と謝罪

高橋さんは自身のX(@atomicdrum)で、音楽の告知だけでなく、社会や政治に関する意見も積極的に発信しています。2026年2月には、首相のドラム演奏をめぐる投稿で強い言葉を使い、奈良県民に触れた表現などが批判を集めました。これを受けて高橋さんは2月5日、Xで謝罪を表明しています。

先日の投稿では適切なことばを選ばすあまりにも酷い物言いになってしまいました。 出典:J-CASTニュース 2026年2月5日(高橋まことさんのX投稿より)

さらに4月には、長射程ミサイルの配備について自身の考えを投稿し、こちらもニュースとして取り上げられました。賛否が分かれる話題に対して、72歳になっても自分の言葉で意見を発信し続けるスタンスは、良くも悪くも高橋さんらしいところです。行き過ぎた表現についてはきちんと謝罪したうえで、発信そのものは続けている、というのが現在の姿といえそうです。

72歳、それでもスティックは離さない

ドラムは体力勝負の楽器です。70代でツーピースのパンクロックを叩き続けるのは、並大抵のことではありません。それでも高橋さんは、BOØWYの看板を背負ったまま過去を懐かしむのではなく、息子さんとの新しい音楽、福島への支援、そしてファンとの交流という形で、今の自分のビートを刻み続けています。

06まとめ

BOØWYのドラマーとして日本のロック史に名を刻んだ高橋まことさん。解散後もDe-LAX、GEENA、JET SET BOYSと活動の場を変えながら、一度もドラムから離れることはありませんでした。震災後は故郷・福島のための活動に力を注ぎ、70歳を迎えた日には息子さんと新しいバンドをスタート。72歳の今も、ライブハウスの現場に立ち続けています。

高橋まこと 2026年現在まとめ

  • BOØWYのドラマーとして1981年から解散まで活動し、「Mr.8BEAT」と呼ばれた
  • 解散後はDe-LAX、GEENA、JET SET BOYSなどで活動を継続
  • 2023年に息子KEITAさんと親子バンドTHE FROGLETSを結成し、2024年1月にデビュー
  • 2026年も各地のライブやBOØWY楽曲を演奏するイベントに出演
  • 震災以降「CROSS OVER JAPAN」の名で福島の復興支援を続けている
  • Xでは社会・政治への意見も発信し、2026年2月には表現について謝罪した

あのサングラスの奥にあるのは、昔も今も変わらない「ドラムが好きだ」というシンプルな思いなのかもしれません。BOØWYの曲を聴き返したあとは、ぜひ今の高橋さんのビートにも耳を傾けてみてください。72歳のエイトビートは、まだまだ現役です。