夏が来るたびに、カーステレオから流れてきた「ふたりの夏物語」。あの突き抜けるようなハイトーンと、海とリゾートの香りがするサウンドに、胸が高鳴った方も多いのではないでしょうか。1980年代半ば、杉山清貴&オメガトライブは「夏の代名詞」のような存在でした。最近はシティポップの世界的な再評価で名前を見かける機会も増えましたが、「で、杉山さん本人は今どうしてるの?」と気になっている方もいるはずです。実は2026年の杉山清貴さんは、ソロデビュー40周年の真っただ中。新曲の配信、スターダスト☆レビューとの初のジョイントライブ、そしてオメガトライブの仲間たちと回る記念ツアーと、驚くほど精力的に動いています。この記事では、全盛期の記憶から現在の姿までをじっくり振り返ります。

01杉山清貴のプロフィール

名前
杉山清貴(すぎやま きよたか)
生年月日
1959年7月17日(67歳)
出身地
神奈川県横浜市
職業
シンガーソングライター
デビュー
1983年、杉山清貴&オメガトライブ「SUMMER SUSPICION」
ソロデビュー
1986年、「さよならのオーシャン」
代表曲
「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」「水の中のAnswer」
所属レーベル
キングレコード(2013年〜)

67歳を迎えた今も、あのハイトーンを武器に年間を通してステージに立ち続けている、まさに「現役」のボーカリストです。

02全盛期の活躍――オメガトライブの夏

「SUMMER SUSPICION」での鮮烈なデビュー

杉山清貴さんの音楽人生は、横浜で組んだアマチュアバンドから始まります。前身バンドの名前は「きゅうてぃぱんちょす」。のちにジョイントライブを行うスターダスト☆レビューも、当時は「アレレのレ」という名前で活動しており、1970年代後半から80年頃のアマチュアシーンで互いにしのぎを削っていた仲だったそうです。

その後、バンドはプロデューサーの藤田浩一さんのもとで「杉山清貴&オメガトライブ」として再出発し、1983年にシングル「SUMMER SUSPICION」でメジャーデビューを果たします。都会的で洗練されたサウンドに、杉山さんの透明感あるハイトーンボイスが乗った楽曲は、それまでの歌謡曲とも、いわゆるロックバンドとも違う新鮮な響きでした。

「君のハートはマリンブルー」「ふたりの夏物語」の大ヒット

デビュー後、バンドは「君のハートはマリンブルー」「サイレンスがいっぱい」など、海やリゾート、都会の夜を描いたヒット曲を次々と送り出しました。作曲を手がけた林哲司さんのメロディーと、杉山さんの伸びやかな歌声の組み合わせは、まさに80年代シティポップのど真ん中といえるものです。

なかでも1985年の「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」は、バンドを象徴する一曲になりました。イントロが流れるだけで夏の空気が一気に広がる、あの感覚を覚えている方も多いはず。杉山さん自身も後年のインタビューで、この曲を「短い小説のような作品」と表現しています。

「作り込まれた世界」を演じたバンド

ただ、華やかな成功の裏側には、バンドならではの葛藤もありました。当時のオメガトライブは、楽曲制作から演奏に至るまでプロデューサーの強い統制のもとにあり、メンバーは「用意された世界観を演じる」役回りだったと杉山さんは振り返っています。売れれば売れるほど、自分たちで曲を作り、自分たちで演奏したいという思いは強くなっていったようです。この思いが、のちの大きな決断へとつながっていきます。

03解散とソロ転身、そしてハワイへ

人気絶頂だった1985年、杉山清貴&オメガトライブはデビューからわずか2年8か月で解散します。ファンにとっては寝耳に水の出来事でしたが、杉山さんにとっては「これでダメになったら自分たちの責任」と言える音楽をやりたい、という主体性を求めた末の決断でした。

翌1986年5月、杉山さんは「さよならのオーシャン」でソロデビュー。この曲は20万枚を超えるヒットとなり、続く「水の中のAnswer」ではソロとして初のオリコン1位を獲得します。バンドの看板ボーカルからソロアーティストへ、見事な転身でした。

その後、杉山さんは活動の拠点を海外に求めます。当初はロサンゼルスへの移住も考えたそうですが、最終的に選んだのはハワイ。グリーンカードを取得し、1990年から2006年ごろまでの約15年間、オアフ島を拠点に日本と行き来する生活を送りました。音楽がプロのものだけでなく、人々が語り合うように音楽と接している暮らしに、大きな充足感を覚えたと語っています。サーフィンに親しんだのもこの時期です。

  • 1983年杉山清貴&オメガトライブとして「SUMMER SUSPICION」でメジャーデビュー。
  • 1985年「ふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-」がヒット。同年、人気絶頂のなかバンドを解散。
  • 1986年5月「さよならのオーシャン」でソロデビュー。20万枚のヒットに。
  • 1987年「水の中のAnswer」でソロ初のオリコン1位を獲得。
  • 1990年ハワイ・オアフ島に拠点を移し、日本と行き来する生活へ(2006年ごろまで)。
  • 2013年キングレコードに移籍し、新作のリリースを継続。
  • 2018年デビュー35周年を機に、杉山清貴&オメガトライブとして日比谷野外音楽堂で再集結ライブ。
  • 2023年5月デビュー40周年記念のオールタイムベストと、オリジナルアルバム『FREEDOM』を同時発売。
  • 2025年3月オメガトライブのドラマー・廣石惠一さんが脳出血のため64歳で死去(スポニチ 2025年3月25日報道)。
  • 2025年7月〜11月日比谷野音で追悼ライブ「お〜い、ヒロイシ!」を開催し、9月からは追悼の全国ツアーへ。
  • 2026年ソロデビュー40周年。新曲配信、スタレビとの初ジョイント、記念ツアーを展開。

04シティポップ再評価と世界のリスナー

アメリカで一番聴かれている日本の「夏の声」

ここ数年、杉山清貴さんを語るうえで欠かせないのが、シティポップの世界的な再評価です。ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクといったネット発の音楽ジャンルをきっかけに、海外のリスナーが「元ネタ」をたどって80年代の日本の音楽にたどり着く、という流れが生まれました。

その波のなかで、杉山さんの楽曲も海外で大きく注目されるようになります。Spotifyのインタビュー企画によると、2023年5月時点で杉山さんの月間リスナーは36万人を超え、国別では日本を抑えてアメリカが最多だったそうです。ロサンゼルスで暮らす娘さんから「オメガトライブ、みんな聴いてる」と言われたというエピソードも紹介されていて、思わず笑ってしまいますよね。40年前に日本の夏のために作られた音楽が、海の向こうで新しい世代に届いているわけです。

ライブの本数が増えたという実感

この再評価は、杉山さんの活動そのものにも変化をもたらしました。2025年のリアルサウンドのインタビューで、杉山さんは「やっぱりシティポップのブームが大きい」と語り、2019年ごろには年に十数本だったライブが、30本を超えるまでに増えたと明かしています。懐かしの歌手として呼ばれるのではなく、今の熱量を求めるお客さんが会場に足を運んでいる、という手応えがあるようです。

「懐かしさ」と「新しさ」を行き来する作品づくり

再評価の流れはリリースにも表れています。2023年にはデビュー40周年を記念した初のオールタイムベストと、約3年ぶりのオリジナルアルバム『FREEDOM』を同時に発売。2024年には黒澤明監督や小津安二郎監督の映画から着想を得たツアー「古いシネマを観るように、、、」を開催し、約20年ぶりに披露する楽曲も盛り込みました。このツアーのファイナル公演は2025年5月にBlu-rayとして発売されています。過去の名曲に寄りかかるだけでなく、毎回テーマを掲げて新しい見せ方に挑んでいるところに、杉山さんの職人気質がにじみます。

052026年現在の活動

新曲「見上げた春の空」と『ラジオ深夜便』

ソロデビュー40周年を迎えた2026年、杉山さんは4月22日に新曲「見上げた春の空」をデジタルリリースしました。この曲はNHK『ラジオ深夜便』の4月・5月の「深夜便のうた」として放送され、夜更けのラジオから杉山さんの声が流れてくる、という形で多くのリスナーに届きました。5月6日にはYouTubeで『ゴールデンウィークスペシャル ソロ40周年記念 春のトーク&ライブ』を生配信し、新曲のリスニングパーティーやトーク、アコースティックライブを届けています。

また、2026年は1月のつくば公演を皮切りに「acoustic solo tour 2026」も全国で展開。ギターとピアノと歌だけというシンプルな編成で、各地の中小ホールを丁寧に回っています。

スターダスト☆レビューとの初ジョイントライブ

2026年の大きなトピックのひとつが、7月1日に横浜・ぴあアリーナMMで行われた『スターダスト☆レビュー×杉山清貴&オメガトライブ YOKOHAMA NIGHT GROOVE! アレレのぱんちょす!!』です。タイトルの「アレレのぱんちょす」は、両バンドのアマチュア時代の名前「アレレのレ」と「きゅうてぃぱんちょす」を掛け合わせたもの。アマチュア時代から40年以上続く友情が、ついに一つのステージで結実しました。

チケットは完売し、約1万人が来場。「夢伝説」「ふたりの夏物語」といった互いの代表曲に加え、クリスタルキング「大都会」や安全地帯「悲しみにさよなら」のカバーでも会場を沸かせました。この公演はWOWOWで生中継されています。終演後、杉山さんはこんな言葉を残しました。

この年まで来たら死ぬまでにやりたいことをやろうと。 出典:デイリースポーツ 2026年7月1日

肩の力が抜けているようで、どこか覚悟も感じさせる一言ですよね。「アマチュアだった俺たちに伝えてあげたい」とも語っていて、横浜の若いバンドマンだった頃の自分たちへの思いがにじみます。

廣石惠一さんへの追悼と「お〜い、ヒロイシ!!」

少し時間を戻すと、2025年はバンドにとってつらい年でもありました。オリジナルメンバーでドラマーの廣石惠一さんが、2025年3月に脳出血のため64歳で亡くなったのです(スポニチアネックス、TBS NEWS DIGなどが2025年3月25日に報道)。廣石さんはクレイジーケンバンドの創設メンバーとしても知られた方でした。

杉山さんたちは同年7月、日比谷野外音楽堂で追悼ライブ「お〜い、ヒロイシ!」を開催。ステージ上で杉山さんは、廣石さんがドラムを叩くと思っていたツアーを振り返りながら、人生は何が起こるか分からない、と語ったそうです。その後、9月から11月にかけて9都市10会場21公演の追悼全国ツアー「続・お〜い、ヒロイシ!!〜野音ツアー全国行脚編〜」を完走しました。2026年にはこの2つの公演を収めた映像作品も発売され、仲間を送り出すための一連の活動がひとつの形になりました。

オメガトライブの仲間と回るソロ40周年記念ツアー

そして今、まさに進行中なのが「杉山清貴 SOLO DEBUT 40TH ANNIVERSARY TOUR」です。9月18日に神奈川・KT Zepp Yokohamaで開幕したこのツアーの最大の特徴は、バックを務めるのが「大島孝夫とDEAR BREEZE」というバンドであること。大島孝夫さん(ベース)、高島信二さん(ギター)、吉田健二さん(ギター)、西原俊次さん(キーボード)ら、オメガトライブのメンバーを中心とした編成で、杉山さんのソロ曲を演奏するという異例の形になっています。

初日はソロデビュー曲「さよならのオーシャン」で幕を開け、ロサンゼルス録音の時代、ハワイでのサーフィンの時代、林哲司さんとの共作の時代と、ブロックごとにテーマを設けて40年の歩みをたどる構成。ステージで杉山さんは、こう語りました。

本当に僕がずっと思い描いていた形が67歳にしてやっといい形で揃いました。長かったなぁ、ここまで来るのに。 出典:ぴあ(オフィシャルレポート) 2026年9月25日

かつて「自分たちで演奏したい」と願って解散を選んだバンドの仲間と、40年後に自分のソロ曲を鳴らしている。この言葉の重みは、そうした歴史を知るとより深く響きます。

ツアーは10月以降も大阪、福岡、新潟、徳島・小松島、東京、札幌などを回り、9月30日には東京・昭和女子大学人見記念講堂での追加公演も行われました。ファイナルは11月28日、東京・LINE CUBE SHIBUYAで、WOWOWでの独占生中継も決まっています。

06まとめ

「夏の歌の人」というイメージのまま記憶が止まっていた方にとって、2026年の杉山清貴さんの充実ぶりは少し意外かもしれません。ソロデビュー40周年の今年は、新曲、ジョイントライブ、アコースティックツアー、そしてバンドツアーと、むしろ全盛期に負けないほどの密度で動いています。

杉山清貴 2026年現在まとめ

  • 1983年に杉山清貴&オメガトライブでデビューし、「ふたりの夏物語」などで80年代の夏を彩った
  • 1985年にバンドを解散し、1986年にソロデビュー。「水の中のAnswer」でオリコン1位
  • シティポップの世界的な再評価で、海外、とくにアメリカのリスナーが急増
  • 2026年4月に新曲「見上げた春の空」を配信、NHK『ラジオ深夜便』の「深夜便のうた」に
  • 7月にスターダスト☆レビューと初のジョイントライブを開催し、約1万人を動員
  • 2025年に亡くなったドラマー・廣石惠一さんの追悼ライブとツアーを完走
  • 9月からオメガトライブのメンバー中心のバンドとソロ40周年記念ツアーを開催中、11月28日にファイナル

人気絶頂での解散、ハワイでの15年、シティポップの再発見、そして仲間との別れ。決して一直線ではなかった40年を経て、杉山さんは今「やっといい形で揃った」と笑っています。昔のヒット曲を聴き返すのもいいですが、ぜひ今の杉山清貴さんのステージにも触れてみてください。あのハイトーンは、今も夏の空のように伸びやかですよ。