「日本サッカーを変えた男」と聞いて、真っ先に中田英寿さんの顔が浮かぶ人は多いはずです。ペルージャで、ローマで、パルマで――ヨーロッパの舞台に堂々と立ち、日韓ワールドカップやドイツ大会で日本代表の心臓として君臨した、あの背番号7。ところが2006年、まだ29歳という若さで彼はピッチを去りました。「まだやれたのに」と誰もが惜しんだあの引退から、もう20年近く。中田英寿さんは今、どこで何をしているのでしょうか。実は今の彼は、サッカーとはまったく別のフィールドで、日本の未来をつくろうと本気で動いています。この記事では、全盛期の記憶をたどりながら、2026年現在の姿までじっくりまとめていきます。
01中田英寿のプロフィール
- 本名
- 中田英寿(なかた ひでとし)
- 生年月日
- 1977年1月22日(49歳)
- 出身地
- 山梨県甲府市
- 主な活動
- 元プロサッカー選手/実業家・文化発信者
- ポジション
- ミッドフィールダー(MF)
- 所属歴
- ベルマーレ平塚、ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトン
- 代表歴
- 日韓W杯(2002)、ドイツW杯(2006)ほか
- 現在の肩書き
- JAPAN CRAFT SAKE COMPANY 代表/サニーサイドアップグループ執行役員
こうして並べてみると、サッカー選手としての輝かしい経歴と、実業家としての今の顔が、まるで別人のように感じられます。でも、根っこにあるのは「本物を追い求める」という一貫した姿勢。そこは現役時代からまったくブレていないんですよね。
02全盛期の活躍
日本代表を背負ったベルマーレ時代
中田英寿さんがサッカーファンの前に現れたのは、ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でのプロデビュー。1995年にプロ入りすると、あっという間に頭角を現します。当時のJリーグにはなかった、視野の広さとパスセンス。ボールを持つ前から次のプレーが見えているような、あの独特のリズム感に、多くの人が「日本にもこんな選手が出てきたのか」と驚かされました。1997年から98年にかけてはアジア年間最優秀選手を2年連続で受賞し、その名は一気に世界へ広がっていきます。
セリエA・ペルージャへの挑戦
1998年のフランスワールドカップを経て、中田英寿さんは当時世界最高峰と言われたイタリア・セリエAのペルージャへ移籍します。まだ日本人が海外でレギュラーを掴むこと自体が珍しかった時代に、彼はデビュー戦でいきなり2ゴール。ユベントス相手のゴールも記録し、「東洋から来た本物」としてイタリア中の話題をさらいました。言葉も文化も違う異国で、実力だけでポジションをこじ開けていく姿は、今振り返っても痛快です。
ローマでスクデット、そして頂点へ
2000年、中田英寿さんは名門ASローマへ移籍。ここで彼はセリエA優勝(スクデット)を経験します。終盤の大一番で途中出場し、同点ゴールと決勝点につながるプレーを見せた試合は、今でも語り草。その後パルマへ渡り、コッパ・イタリア制覇にも貢献しました。ヨーロッパのビッグクラブでタイトルを掴んだ日本人選手というのは、彼が切り拓いた道そのものだったと言っていいでしょう。
日本代表の司令塔として
代表では1998年フランス、2002年日韓、2006年ドイツと3度のワールドカップに出場。特に地元開催となった2002年の日韓大会では、日本を初のグループリーグ突破・ベスト16へと導く原動力になりました。中盤で攻守の舵を握り、時に厳しい言葉でチームを引き締める姿は、まさに「勝つために来ている」プロフェッショナルそのもの。今も「日本代表史上最高のMFは?」という話題になると、必ず名前が挙がる存在です。
03電撃引退とその後の旅
華々しいキャリアの絶頂とも言える時期に、中田英寿さんは誰も予想しなかった決断を下します。2006年のドイツワールドカップ、日本代表はグループリーグ敗退。その最後の試合の後、ピッチに大の字で寝転がる彼の姿が世界に配信されました。そしてほどなくして、自身のサイトで現役引退を発表したのです。29歳。まだまだ第一線でやれる年齢での引退表明に、日本中が言葉を失いました。
引退後の中田英寿さんは、いわゆる「セカンドキャリア」の定番――解説者や指導者――には進みませんでした。代わりに選んだのは、世界中を旅すること。約100か国を巡り、様々な文化や人に触れる日々を送ります。そして旅の果てにたどり着いたのが、「灯台下暗し」だった自分の国、日本の魅力でした。ここから彼の人生は大きく舵を切っていきます。
- 2006年7月ドイツW杯後、29歳で現役引退を発表。世界に衝撃が走る。
- 2006〜2009年世界各国を旅する日々へ。約100か国を巡り、様々な文化や産業に触れる。
- 2009年日本全国を巡る旅を本格スタート。日本の伝統文化・ものづくりの奥深さに開眼する。
- 2015年株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立。日本酒事業へ本格参入。
- 2016年日本酒イベント「CRAFT SAKE WEEK」を初開催。
- 2020年10月国立工芸館(石川県金沢市)の名誉館長に就任。
- 2024年10月サニーサイドアップグループの執行役員エグゼクティブオフィサーに就任。
04にほんものと日本酒への情熱
日本全国を旅するなかで、中田英寿さんが強く心を動かされたのが、各地に根づく伝統産業と、そこで黙々とものづくりを続ける職人さんたちの存在でした。焼き物、漆器、織物、そして日本酒。世界に誇れる「Japan Quality」がありながら、後継者不足や販路の細さといった課題を抱えている。その現実を目の当たりにした彼は、「これはなんとかしなければ」と本気で考えるようになります。
そこから生まれたのが「にほんもの」プロジェクトです。日本47都道府県を実際に足で巡り、酒蔵や工房を訪ね、生産者と直接語り合う。そこで見つけた本物の魅力を、ウェブマガジンやラジオ、テレビ番組といった様々なメディアを通じて国内外に発信していく――という、気の遠くなるようなプロジェクトを、彼は10年以上コツコツと続けてきました。単なる「顔の広い元スター」の道楽ではなく、産業構造そのものにアプローチしようとしているところに、中田英寿さんの本気度が表れています。
とりわけ力を注いできたのが日本酒の世界。2015年に設立したJAPAN CRAFT SAKE COMPANYを軸に、全国の酒蔵とつながり、日本酒の価値を国内外へと押し広げてきました。旅で訪れた酒蔵は数百にのぼると言われ、その知識量は「もはやプロの域」と業界関係者からも一目置かれる存在になっています。
052026年現在の活動
CRAFT SAKE WEEKが10周年の節目に
中田英寿さんが率いるJAPAN CRAFT SAKE COMPANYが主催する日本酒イベント「CRAFT SAKE WEEK」は、2016年の初開催から数えて、2026年でついに10回目という大きな節目を迎えました。「CRAFT SAKE WEEK 2026 with OMAKASE byGMO at ROPPONGI HILLS」として、2026年4月17日から29日までの13日間、東京・六本木ヒルズアリーナで開催。全国から厳選された130もの酒蔵が集結する、日本最大級の日本酒フェスへと成長しています。中田英寿さん自身が全国を巡って選び抜いた蔵ばかりというのが、このイベントの何よりの強みです。
CRAFT SAKE WEEKは、日本各地の酒蔵と、その土地の食文化を一度に体験できる場として毎年多くの来場者を集めている。10回目を迎える2026年は、六本木ヒルズアリーナに全国130蔵が参加する規模となった。 出典:CRAFT SAKE WEEK 公式サイト 2026年
サニーサイドアップグループの執行役員として
2024年10月、中田英寿さんはPR会社サニーサイドアップグループの執行役員エグゼクティブオフィサーに就任しました。実は彼、現役時代の1996年からこの会社とマネジメント契約を結んでいる、いわば長年のパートナー。大株主でもあります。同社の次原悦子社長は、中田さんの「国際的かつ多岐にわたる人脈、その影響力と知見をグループの経営に役立てたい」とコメントしており、地方創生などの分野でその力が期待されています。2026年現在も、経営の一角を担う立場として活動を続けています。
新たなお茶ブランド「HANAAHU TEA」
日本酒だけにとどまらないのが今の中田英寿さんです。近年は日本茶にも注目し、料理との調和を追求した次世代の「ティーペアリング」を提案するブランド「HANAAHU TEA」を手がけています。2026年のCRAFT SAKE WEEKでも新作のボトリングティーを披露するなど、日本の飲み物文化を丸ごとアップデートしようという姿勢が伝わってきます。お酒が飲めない人にも日本文化を楽しんでほしい――そんな視野の広さは、いかにも彼らしいですね。
「にほんもの」と文化発信は現在も継続
2009年から続く「にほんもの」プロジェクトも、2026年現在なお進行形です。ウェブマガジンでの情報発信に加え、国立工芸館(石川県金沢市)の名誉館長として工芸文化の普及にも関わり続けています。公式サイト「nakata.net」やSNSでも精力的に情報を届けており、サッカー選手だった頃とはまったく違う形で、日本という国の魅力を世界に伝える「発信者」としての存在感を年々高めています。
06まとめ
「もったいない」と惜しまれた29歳での引退。あのとき多くの人が抱いた喪失感は、今の中田英寿さんの姿を見れば、少しずつ晴れていくのではないでしょうか。彼はサッカーを離れたのではなく、戦うフィールドを「日本の伝統産業」へと移しただけ。ピッチの上で日本サッカーの常識を変えたのと同じ熱量で、今度は日本酒や工芸の未来を変えようとしているのです。
中田英寿 2026年現在まとめ
- 1977年生まれ、山梨県出身の元サッカー日本代表MF。2026年で49歳。
- ペルージャ・ローマ・パルマなどセリエAで活躍、W杯3大会に出場した。
- 2006年ドイツW杯後、29歳で電撃引退。その後は世界と日本を旅した。
- 2015年にJAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立し、日本酒事業へ本格参入。
- 2026年、主催イベント「CRAFT SAKE WEEK」が10周年を迎え全国130蔵が参加。
- 2024年10月からサニーサイドアップグループの執行役員も務める。
- 「にほんもの」プロジェクトや新茶ブランド「HANAAHU TEA」など文化発信を継続中。
かつてピッチの真ん中で全体を見渡し、勝つための一手を打ち続けた中田英寿さん。その視点の高さは、実業家となった今も健在です。日本酒、工芸、お茶――日本にしかない「本物」を世界へ届けるという壮大なプロジェクトは、まだまだ道半ば。次にどんな一手を見せてくれるのか、これからも目が離せませんね。