夏場所の土俵に、東前頭13枚目からの快進撃で賜盃を抱いた力士がいました。1991年名古屋場所、平成に入って初めての平幕優勝を成し遂げた元関脇・琴富士孝也さん。横綱・旭富士を倒し、二人の大関を撃破しての14勝1敗は、あの夏の大相撲を象徴する出来事でした。あれから30年余り。土俵を離れた後の琴富士さんは、決して平坦ではない道を歩みました。そして2025年8月8日、60歳でその生涯を閉じています。この記事では、栄光の全盛期から引退後の苦難、療育の道へたどり着いた晩年、そして訃報とその反響までを、追悼の思いを込めて振り返ります。

01琴富士孝也さんのプロフィール

本名
小林 孝也(こばやし たかや)
四股名
琴富士 孝也(ことふじ たかや)
生年月日
1964年10月28日
没年月日
2025年8月8日(享年60)
出身地
千葉県千葉市花見川区
所属部屋
佐渡ヶ嶽部屋
体格(現役時)
身長191cm・体重150kg
最高位
西関脇(1990年名古屋場所)

191cmの長身から繰り出す押し相撲を武器に、佐渡ヶ嶽部屋の看板力士として活躍した琴富士さん。名門部屋にあって、大関・琴風以来となる幕内優勝をもたらした立役者でした。

02全盛期の活躍――平成初の平幕優勝

佐渡ヶ嶽部屋の長身力士として

琴富士さんが初土俵を踏んだのは1980年春場所、15歳のときでした。名門・佐渡ヶ嶽部屋に入門し、191cmという当時としても際立った長身を生かした相撲で番付を駆け上がっていきます。じっくりと力をつけ、新入幕を果たしたのは1988年秋場所。初土俵から新入幕まで8年半という着実な歩みでした。

入幕後は幕内上位で揉まれながら地力を蓄え、1990年名古屋場所では新関脇に昇進。西関脇まで番付を上げ、三役力士としての地位を確立します。押しを軸にした正攻法の相撲は、派手さこそないものの、上位陣を苦しめる実力を備えていました。

1991年名古屋場所――初日から13連勝の快進撃

琴富士さんの名を大相撲史に刻んだのが、1991年(平成3年)7月の名古屋場所です。このときの番付は東前頭13枚目。三役から番付を落とし、幕内の下位に位置していました。

ところが場所が始まると、琴富士さんは初日から白星を並べていきます。11日目には横綱・旭富士を破り、さらに大関の小錦、霧島という二人の大関を撃破。13日目には貴闘力(後の貴闘力・大嶽親方)を破って初日からの13連勝を達成し、この時点で平幕優勝を決めました。最終成績は14勝1敗。前頭下位からの堂々たる賜盃獲得でした。

この平幕優勝は、平成に入って初めての快挙でした。前回の平幕優勝は1984年秋場所の多賀竜まで遡り、実に約7年ぶり。所属する佐渡ヶ嶽部屋にとっても、1983年初場所の大関・琴風以来、8年半ぶりの幕内優勝となりました。

「平幕優勝ラッシュ」の口火を切って

興味深いのは、琴富士さんのこの優勝が、その後1年ほど続く「平幕優勝ラッシュ」の口火を切ったことです。この1991年名古屋場所の琴富士さんに続き、同年秋場所では琴錦、1992年初場所では貴花田(後の横綱・貴乃花)、そして1992年名古屋場所では豪快な塩まきで人気を博した水戸泉が、相次いで平幕優勝を果たしました。

わずか1年ほどの間に4人もの平幕優勝者が生まれたのは、大相撲の長い歴史でも稀なことでした。世代交代の波が押し寄せていた時代の、その先陣を切ったのが琴富士さんだったわけです。水戸泉さんの「ソルトシェイカー」の異名とともに、この時期の平幕優勝は、平成初期の大相撲を語るうえで欠かせない記憶として今も語り継がれています。

三賞・金星――上位を脅かした実力

琴富士さんは三賞では敢闘賞を2度受賞。横綱から金星を2個奪っており、上位陣を脅かす存在であったことを、これらの記録が物語っています。優勝という華々しい実績だけでなく、コンスタントに上位を苦しめた力士だったのです。

1995年秋場所を最後に現役を引退。15年にわたる土俵人生に幕を下ろしました。

03土俵を降りてから――引退後にたどった道

現役引退後、琴富士さんは年寄「粂川(くめがわ)」を襲名し、日本相撲協会に残って後進の指導にあたりました。しかし1999年7月に協会を退職。角界を離れた後の人生は、栄光の全盛期からは想像しにくい、苦難の連続となっていきます。

  • 1995年秋場所現役を引退。年寄「粂川」を襲名し、協会に残って指導にあたる。
  • 1999年7月日本相撲協会を退職。以降は飲食業やタレント活動などに携わる。
  • 2000年代飲食店の経営などを手がけるが、私生活での借金などを抱え、生活は次第に厳しくなっていったと報じられる。
  • 2014年2月偽装結婚に関与した疑いで逮捕される。当初は容疑を否認していたと報じられた。
  • 2014年5月東京地裁で懲役1年6か月・執行猶予3年の判決を受ける。
  • 2010年代後半神戸市で暮らしながら、発達障害の子どもを支援する療育の仕事に携わるようになる。

角界を離れてからは飲食業などに携わったものの、事業は必ずしもうまくいかなかったと報じられています。私生活でも借金を抱えるなど、生活は厳しさを増していきました。栄光の頂点を極めた力士が、土俵を降りた後に困難な現実と向き合っていたことは、多くのファンにとって胸の痛む出来事でした。

2014年の偽装結婚事件

その苦難のなかで起きたのが、2014年の偽装結婚事件です。報道によれば、琴富士さんは在留資格の取得を目的とした虚偽の婚姻届の提出に関与したとして、2014年2月に逮捕されました。逮捕当初は容疑を否認していたと報じられています。

同年5月、東京地方裁判所は懲役1年6か月・執行猶予3年の判決を言い渡しました。実刑は免れたものの、元関脇の逮捕は大きく報じられ、琴富士さんにとって人生の大きな転機となりました。後年のインタビューで、琴富士さんはこの一件について「やってしまったことは取り戻せない」と、後悔の念を口にしています。

04療育の道へ――たどり着いた贖罪の日々

発達障害の子どもたちを支える仕事へ

苦難の底にあった琴富士さんに転機をもたらしたのは、中学時代の同級生だったという女性でした。デイリースポーツが2019年に報じたところによれば、この女性が発達障害の子どもを支援する療育の仕事への参加を琴富士さんに誘ったことが、新たな道への入り口になったといいます。

自身も検査を受けた結果、琴富士さん自身に発達障害の可能性があることが分かったと報じられています。長年の生きづらさの背景にあったものと向き合いながら、琴富士さんは相撲の経験を生かした療育の指導者として、子どもたちと関わる仕事を始めました。

「毎日が贖罪」と語った晩年の思い

当時の報道によれば、琴富士さんは神戸市内のアパートで質素な暮らしを送りながら、療育の仕事に取り組んでいました。かつて土俵の頂点に立った力士が、決して恵まれているとは言えない環境のなかで、静かに再起への道を歩んでいたのです。

毎日が贖罪であり、子どもたちを幸せにできるお手伝いができたらいい 出典:デイリースポーツ 2019年2月8日

この言葉には、栄光と挫折の両方を知る人だからこその重みがあります。過去の過ちを取り消すことはできない。だからこそ、目の前の子どもたちのために自分にできることをする――そんな覚悟がにじんでいました。相撲という自らの経験を、次の世代のために役立てようとした晩年の姿は、琴富士さんの人柄を静かに物語っています。

相撲を通じて伝えたかったもの

療育の現場で、琴富士さんは相撲の動きを取り入れた指導を行っていたと伝えられています。四股を踏む、押す、組む――そうした相撲の基本動作は、体の使い方やバランス感覚を育むうえで、子どもたちにとって良い刺激になったことでしょう。土俵の上で培った191cmの体と技術は、形を変えて、子どもたちの成長を支える力になっていったのです。

05最後の日々と追悼

2025年8月8日、60歳で逝去

療育の道を歩んでいた琴富士さんですが、晩年は病気療養中だったと報じられています。そして2025年8月8日、脳梗塞のため60歳で息を引き取りました。日本経済新聞をはじめ複数のメディアが、元関脇・琴富士(本名・小林孝也)さんの訃報を伝えています。

元関脇琴富士の小林孝也(こばやし・たかや)氏が8日、死去した。60歳だった。 出典:日本経済新聞 2025年8月10日

告別式は近親者のみで執り行われたと報じられました。平成初の平幕優勝という大きな栄光を残した力士の、静かな旅立ちでした。

相撲ファンから寄せられた惜別の声

訃報が伝わると、SNSや相撲ファンの間では惜別の声が広がりました。1991年名古屋場所の平幕優勝をリアルタイムで見届けた世代からは、「あの夏の琴富士の快進撃は忘れられない」「前頭13枚目からの優勝は本当に痛快だった」といった、当時の興奮を懐かしむ声が数多く寄せられました。

同時期に平幕優勝を果たした水戸泉さんや琴錦さん、貴乃花さんの名とともに、平成初期の大相撲を彩った一人として、琴富士さんの相撲を懐かしむファンは少なくありません。派手なパフォーマンスがあったわけではないけれど、地道に力をつけ、ここぞという場所で頂点に立った――そのひたむきな相撲は、多くの人の記憶に刻まれています。

栄光と苦難、その両方を生きた60年

琴富士さんの60年の生涯は、栄光と苦難の両方を含んだものでした。土俵の頂点を極めた力士が、引退後には想像もしなかった困難に直面し、それでも最後には子どもたちを支える道にたどり着いた。その歩みは、決してきれいごとだけでは語れません。だからこそ、平幕優勝という輝かしい記録とともに、晩年に見せた贖罪と再起の姿も含めて、一人の人間の生き様として静かに心に残ります。

06まとめ

1991年名古屋場所、東前頭13枚目から平成初の平幕優勝を成し遂げた元関脇・琴富士孝也さん。その快進撃はいまも語り継がれる名場面です。土俵を降りてからの道は平坦ではありませんでしたが、最後には子どもたちを支える療育の仕事にたどり着き、静かに人生を歩んでいました。

琴富士孝也さん 歩みのまとめ

  • 1964年千葉県生まれ。佐渡ヶ嶽部屋に入門し、191cmの長身を生かした押し相撲で活躍
  • 1991年名古屋場所、東前頭13枚目から14勝1敗で平成初の平幕優勝を達成
  • 横綱・旭富士や二人の大関を撃破し、初日から13連勝の快進撃を見せた
  • 最高位は西関脇、敢闘賞2度・金星2個の実績を残す
  • 1995年に現役引退、1999年に協会を退職し、引退後は苦難の道を歩んだ
  • 2014年の偽装結婚事件で有罪判決(執行猶予付き)を受ける
  • 晩年は発達障害の子どもを支える療育の仕事に携わり「毎日が贖罪」と語った
  • 2025年8月8日、脳梗塞のため60歳で逝去

一つの場所で見せたあの快進撃は、大相撲の歴史に確かな輝きを残しました。栄光も苦難も、そして最後の静かな贖罪の日々も含めて、琴富士孝也さんという一人の力士が確かに生きた証です。心よりご冥福をお祈りいたします。