カラオケで誰かが必ず入れる曲、ありますよね。「もっと強く抱きしめたなら」「世界が終るまでは…」「世界中の誰よりきっと」。90年代を通った人なら、イントロが鳴っただけで当時の景色が戻ってくるはずです。その全部を歌っていたのが、WANDS初代ボーカルの上杉昇さんでした。ところが人気絶頂の最中にバンドを離れ、テレビからもぱったり姿を消してしまう。「あの人、今どこにいるんだろう」と長く思われてきた人です。でも実は、上杉さんはずっと歌い続けていました。しかも2026年の今、その舞台は日本を飛び出してアジア中に広がっています。今回はその現在地を、じっくり追いかけていきます。

01上杉昇のプロフィール

本名
上杉昇(うえすぎ しょう)
生年月日
1972年5月24日(2026年8月現在54歳)
出身
埼玉県川越市生まれ、神奈川県横須賀市育ち
身長/血液型
172cm/A型
デビュー
1991年12月4日、WANDSのボーカリストとして
代表曲
「もっと強く抱きしめたなら」「世界が終るまでは…」「世界中の誰よりきっと」
所属
pojjo record(自身のレーベル)/office pojjo
現在の活動
ソロシンガーとしてのライブ活動、アジアツアー、映像作品リリース

こうして並べてみると、デビューから35年近く、レーベルを自前で持ちながら一度も歌をやめていないという事実そのものが、この人のいちばんの肩書きなのかもしれません。

02全盛期の活躍――WANDSが日本を席巻した日々

いきなりのミリオンになった「もっと強く抱きしめたなら」

WANDSは1991年12月にデビューしたバンドです。プロデューサーの長戸大幸さんに見出され、上杉さんはアレンジャー・作曲家の大島康祐さん、ギタリストの柴崎浩さんとともにスタートを切りました。

爆発したのは翌1992年。ドラマ主題歌となった「もっと強く抱きしめたなら」が160万枚以上という途方もない数字を叩き出します。デビュー2年目のバンドがいきなりミリオンです。当時のオリコンチャートを追っていた人なら、あのジャケットと、少しかすれた独特の声を覚えているのではないでしょうか。

上杉さんの声は、いわゆる「うまい歌手」の声とは少し違いました。滑らかというより、ざらついている。だからこそ、打ち込みを多用した当時のポップスの中で異様に耳に残ったのだと思います。

『SLAM DUNK』とともに刻まれた「世界が終るまでは…」

そして1994年、WANDSにとって決定打となる曲が生まれます。アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマ「世界が終るまでは…」です。売上は120万枚を超えました。

この曲がすごいのは、単にヒットしただけでなく、作品と分かちがたく結びついたことでした。試合が終わったあとにあのイントロが流れてくる――その体験ごと、当時の子どもたちの記憶に焼き付いたわけです。のちにこの結びつきが、上杉さんの人生を思わぬ形で動かすことになるのですが、それは後ほど。

中山美穂さんとのデュエットが生んだ社会現象

同じ1992年には、中山美穂さんとのコラボレーション名義「中山美穂&WANDS」で「世界中の誰よりきっと」を発表。こちらも空前のヒットとなりました。上杉さんはこの曲の作詞に関わっており、単なる客演ボーカルではなく、楽曲の骨格をつくった側の人間でもあります。

女性トップアイドルとロックバンドのボーカルという組み合わせ自体が、当時としてはかなり大胆でした。この一曲でWANDSの知名度は完全に全国区になります。

数字が語る1993年のビーイング黄金期

WANDSの勢いを最も端的に示すのが1993年の数字です。この年、シングルは410万枚以上、アルバムは318万枚以上を売り上げたとされています。1994年には日本ゴールドディスク大賞も受賞しました。

いわゆる「ビーイング系」が音楽シーンを覆っていた時代、その中心にいたバンドのひとつがWANDSでした。テレビに出ない、素顔を見せない、それでも売れる。あの独特の売れ方を象徴する存在だったと言っていいと思います。

03脱退とその後――バンドを降りてからの歩み

これだけの成功を収めながら、上杉さんはバンドを離れます。理由としてよく語られるのが、音楽性のギャップです。

のちのインタビューで上杉さんは、ロックができると聞かされてバンドに参加したものの、蓋を開けてみればJ-POP路線だった、という趣旨のことを率直に語っています。フラストレーションを発散するため、メンバーとニルヴァーナのコピーバンドを組んでライブハウスに立っていた時期もあったそうです。売れれば売れるほど、自分がやりたい音楽から遠ざかっていく。想像するだけでしんどい状況です。

制作現場の過酷さについても、上杉さんは「極限状態だった」と振り返っています。作詞は1日で仕上げるのが当たり前、徹夜も常態化。ついには過呼吸で歌えなくなることもあったといいます。ヒットチャートの華やかさの裏側は、そういう場所だったわけです。

そして1996年をもってWANDSとしての活動に区切りをつけ、翌1997年にギタリストの柴崎浩さんとともに正式にバンドを離れます。人気絶頂での離脱でした。

  • 1991年12月WANDSのボーカリストとしてデビュー。
  • 1992年「もっと強く抱きしめたなら」が160万枚超のミリオンヒット。中山美穂&WANDS「世界中の誰よりきっと」も大ヒット。
  • 1993年シングル410万枚以上、アルバム318万枚以上を売り上げる。
  • 1994年日本ゴールドディスク大賞を受賞。『SLAM DUNK』エンディング「世界が終るまでは…」が120万枚超。
  • 1996〜1997年WANDSを脱退。柴崎浩さんとともにバンドを離れる。
  • 1997年柴崎さんとal.ni.coを結成。シングル3枚、アルバム1枚を発表。
  • 2001年al.ni.coが活動終了。自身のレーベルpojjo recordを設立。
  • 2002年ソロキャリアをスタート。
  • 2007年ロックバンド「猫騙」を結成し、ボーカルを務める。
  • 2018年『世界が終るまでは… 上杉昇25th Anniversary BOX』を発表。
  • 2022年デビュー30周年記念のベストアルバムを発売。
  • 2023年12月『上杉昇 全歌詞集 1991-2023』を発売。約150曲、300ページに及ぶ。

こうして年表にすると一目瞭然ですが、上杉さんは一度も止まっていません。「消息不明」と言われがちだったのは、単にテレビに出ていなかったからです。al.ni.co、猫騙、そしてソロ。形を変えながら、ライブハウスを中心に活動はずっと続いていました。

とくに2001年に自身のレーベルpojjo recordを立ち上げた判断は大きかったと思います。大きな事務所の看板を降りて、自分の裁量で作品を出し、自分のペースでツアーを組む。売上規模だけ見れば全盛期とは比べものになりませんが、代わりに手に入れたものは、まさに彼が求めていた自由だったのでしょう。

04スラムダンクが呼び戻した歌

上杉さんの現在を語るうえで絶対に外せないのが、2022年12月に公開された映画『THE FIRST SLAM DUNK』の存在です。

日本での大ヒットもさることながら、決定的だったのは中国での爆発的な反響でした。中国国内だけで興行収入131億円超という規模に達し、その熱がそのまま原作アニメへの再評価につながります。そして当然、あの主題歌にも火がつきました。

30年近く前の日本の曲が、中国のリスナーの間で改めてブームになる。上杉さんのもとには、中国、台湾、シンガポール、ドバイといった各地からライブの依頼が届くようになりました。2023年だけで10回以上の海外公演をこなしたと報じられています。

面白いのは、上杉さん自身が当時『SLAM DUNK』との仕事を素直に喜べていなかったと明かしていることです。ロックをやりたかった若者にとって、アニメのタイアップは必ずしも本意ではなかったのでしょう。それでも今は、その知名度に助けられていると認め、感謝の言葉を口にしています。

過去の自分が受け入れきれなかったものが、30年後に自分を海外へ連れ出してくれた。こういう巡り合わせは、なかなか作ろうとして作れるものではありません。

海外では完全にスター扱いを受ける一方、日本に帰るとそうでもない――そんな不思議な感覚も語られていて、このギャップの語り口がまた妙にこの人らしいなと感じました。

052026年現在の活動

アジアを本格的に回るソロツアー

2025年、上杉さんはデビューから30年以上を経て初となるアジアツアーに乗り出しました。タイトルはもちろん「世界が終るまでは… 2025 Tour」。

初日は2025年7月26日、中国・廈門の廈門市工人体育館。続いて8月30日には広州の白雲国際会議中心世紀大会堂、11月22日には香港のTIDES(黄埔花園)で公演を行いました。公式サイトのニュースを追うと、このほかにも上海、成都、シンガポール、バンコクといった都市の名前が並んでおり、文字通りアジアを横断するツアーになっています。

会場の規模も、日本国内のライブハウスとはまるで違います。数千人規模の体育館や国際会議場で、90年代の日本のロックボーカリストが満員の観客を前に歌う。かつて「消えた」と言われた人の現在地としては、なかなかドラマチックな光景ではないでしょうか。

2025年10月7日には、このアジアツアーから「Nobody Answers」のLIVE MVも公開されています。

テレビ復帰と国内フェスへの出演

一方、日本国内でも上杉さんの姿を見る機会が増えています。

大きな話題になったのが、2025年7月5日に日本テレビ系で放送された『THE MUSIC DAY 2025』への出演です。上杉さんにとって実に32年ぶりとなるテレビ歌唱で、披露したのは中山美穂さんの「世界中の誰よりきっと」。故人となった中山さんへの追悼の意を込めたアコースティックアレンジで、放送直後からSNSには「声が変わっていない」「涙が出た」といった反響があふれました。作詞に関わった本人が歌うという意味でも、これ以上ない人選だったと思います。

フェスへの出演も活発です。2025年は7月5日の「Evolvin GOLF ROCK FES 2025」(岡山)、10月26日の「斑尾アニフェス2025」(長野)に出演。2026年に入ってからも、6月6日の「FUJI 24hオールナイトフェス」でイベント広場特設ステージの夜帯を務めました。

テレビ出演も続いており、2026年6月3日にはフジテレビ『ノンストップ!』に登場。5月23日に開催された試写&トークイベントの模様と特別インタビューが放送されています。

映像作品のリリースと初のディナーショー

2026年7月8日、最新のライブ映像作品『SHOW WESUGI LIVE COMPILATION DVD 2023-2024【Social Distance 2】』が一般発売されました。2023年から2024年にかけて行われたアコースティックライブからセレクトした映像を収録したコンピレーションで、リリースを記念してタワーレコード新宿店ではパネル展も開催されています。

そしてもうひとつ、2026年の大きなトピックが初のディナーショーです。開催は2026年9月13日、会場は京成ホテルミラマーレのローズルーム。1部が12時から、2部が17時30分からの2公演制で、S席35,000円、A席32,000円(ショー・食事・飲み物・税・サービス料込み)という設定になっています。

お食事をゆっくりとお楽しみいただいた後には、スペシャルなライブをお届けいたします。 出典:上杉昇 OFFICIAL WEBSITE 2026年7月13日

ロックバンド出身のボーカリストがディナーショーというのは、少し意外な組み合わせに感じるかもしれません。でも近年の上杉さんはアコースティック編成のライブを重ねており、繊細に歌を届けるスタイルを磨いてきました。その延長線上にあると考えると、むしろ自然な流れなのでしょう。

ファンとの距離が近い活動スタイル

現在の上杉さんの活動でもうひとつ特徴的なのが、ファンクラブを軸にした密度の高い交流です。

2025年には、5月17日の大阪・梅田ラテラル、5月24日の東京・渋谷ロフトナイン(バースデースペシャル)、6月1日の愛知・名古屋ハートランドと、ファンクラブ会員限定のミニライブ+トークイベントを各地で開催しました。2026年5月にも、17日に大阪・梅田Lateral、23日に東京・表参道GROUNDでイベントが行われています。

さらに2026年10月17日から19日にかけては、ファンクラブ旅行として沖縄ツアーも予定されており、アコースティックライブが組み込まれているとのこと。JTBのオフィシャルツアーとして案内が出ており、初参加の人や一人参加の人向けの説明まで用意されている丁寧さです。

数万人規模のヒットを飛ばした人が、今は数十人から数百人の場所でファンの顔を見ながら歌っている。そしてその同じ人が、海を渡れば大会場を満員にする。この振れ幅こそが、2026年の上杉昇さんの姿だと言えそうです。

なお、公式バイオグラフィーによれば、2026年12月4日で上杉さんはデビュー35周年を迎えます。この節目に向けて、何かしらの動きがあるかもしれません。

06まとめ――歌い続ける上杉昇

「WANDSの初代ボーカルは今どこに」という問いは、長いあいだファンの間でくり返されてきました。でも答えは、実はずっとシンプルだったわけです。上杉昇さんは、どこにも行っていませんでした。ただテレビの外で、自分のレーベルで、自分の選んだ場所で歌い続けていただけでした。

そして『THE FIRST SLAM DUNK』というまったく予想外のきっかけが、その歌を国境の向こうへ運んでいきました。かつて素直に受け入れられなかったタイアップが、30年後に最大の追い風になる。人生というのは、本当に思い通りにならないぶん面白いものだと思わされます。

上杉昇 2026年現在まとめ

  • WANDS初代ボーカルとして1990年代にミリオンを連発。1996〜1997年にバンドを脱退した。
  • 脱退後もal.ni.co、猫騙、ソロと形を変えながら音楽活動を継続。2001年に自身のレーベルpojjo recordを設立している。
  • 映画『THE FIRST SLAM DUNK』の中国での大ヒットにより「世界が終るまでは…」が再評価され、海外からのオファーが急増した。
  • 2025年、デビュー30年超で初のアジアツアーを開催。廈門、広州、香港ほかアジア各都市を回った。
  • 2025年7月の『THE MUSIC DAY 2025』で32年ぶりのテレビ歌唱を果たし、中山美穂さんへの追悼として「世界中の誰よりきっと」を披露。
  • 2026年7月8日にライブDVD『SHOW WESUGI LIVE COMPILATION DVD 2023-2024【Social Distance 2】』を一般発売。
  • 2026年9月13日に初のディナーショー、10月にはファンクラブ沖縄ツアーを予定。12月4日にデビュー35周年を迎える。

もし今、あの声をもう一度聴きたくなったなら、探すのは思い出の中ではなく、最新のライブスケジュールのほうかもしれません。54歳になった上杉昇さんは、アジアの大会場でも、東京の小さなハコでも、変わらずマイクの前に立っています。35周年を迎えるこれからの一年、どんなステージを見せてくれるのか。往年のファンとしては、素直に楽しみに待ちたいところです。