カラオケで誰かが必ず入れた「離したくはない」。イントロのギターが鳴った瞬間に、あのハスキーで切実な声が頭の中で再生される――そんな方、多いんじゃないでしょうか。90年代前半、T-BOLANはビーイング全盛期の中心にいたバンドでした。ところがボーカルの森友嵐士さんは、その絶頂期に声を失います。原因も治療法もわからない「心因性発声障害」。復帰まで10年以上かかりました。あれから四半世紀、森友さんは今どうしているのか。実は2026年8月、彼のキャリアにとって決定的な一夜がありました。

01森友嵐士のプロフィール

本名
田辺 裕之(たなべ ひろゆき)
生年月日
1965年10月30日(2026年8月現在 60歳)
出身地
広島県府中市
血液型
AB型
出身校
東海大学 理学部化学科
担当
T-BOLAN ボーカル/作詞・作曲
デビュー
1991年7月 シングル「悲しみが痛いよ」
代表曲
「離したくはない」「Bye For Now」「おさえきれない この気持ち」「マリア」

理学部化学科出身のロックボーカリスト、というのがまず意外ですよね。理詰めで物事を考える人らしい発言は、後年のインタビューにもたびたび顔を出します。

02全盛期の活躍――90年代を駆け抜けた日々

バンド結成からデビューまで

T-BOLANの前身となるバンドが動き出したのは1987年。ドラマーに誘われる形で森友さんが加入し、そこからメジャーデビューまでに4年をかけています。いきなり売れたわけではなく、下積みの時間はきっちりあったわけです。

1991年7月、シングル「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー。当時のビーイング系サウンドの中では、T-BOLANはかなり「バンドらしいバンド」でした。打ち込み主体のユニットが並ぶ中で、生々しいギターとリズム隊、そして森友さんの喉を絞るような歌い方は明確に異質だったんです。

「離したくはない」で一気に全国区へ

流れが変わったのは1991年12月にリリースされた「離したくはない」。この曲がロングヒットとなり、T-BOLANの名前は一気に全国区になります。歌い出しの一節を聴けば誰の声かわかる、という強烈な個性。歌謡曲的なメロディとハードロック寄りの演奏が同居する感じが、当時の空気にぴたりとはまりました。

ミリオンヒットとオリコン1位

1992年11月に発売された「Bye For Now」は、T-BOLAN最大のヒットとなりミリオンセラーを記録。翌1993年2月の「おさえきれない この気持ち」では、ついにオリコンシングルチャート1位を獲得します。同じ1993年にはアルバム『HEART OF STONE』もオリコン1位に。シングルもアルバムも頂点に立った年でした。

年間何本という過密スケジュール

一方で、この時期の活動量は尋常ではありませんでした。1992年から1993年にかけて年4枚のシングルと年2枚のアルバムを出しながら、ライブバンドとして全国を回り続ける。リリースとツアーが常に並走している状態です。あとから振り返れば、この密度こそが後の不調の伏線だったと言えるのかもしれません。

03歌声を失った日々とその後

1994年、声が出なくなる

異変が表面化したのは1994年頃。喉の不調が続き、T-BOLANは1995年3月26日のライブを最後に活動を休止します。表向きは「ボーカルの喉の不調」でしたが、実態はもっと深刻でした。

1999年12月、診断名が「心因性発声障害」であることが判明。原因も治療法も確立されていない症状で、医師からは「明日歌えるかもしれないが、10年経っても歌えない可能性もある」と告げられたといいます。この診断を受けて、T-BOLANは同年12月に正式に解散しました。

歌えないだけでなく、日常会話にも支障が出る時期があったと本人が語っています。ボーカリストにとって、これ以上ないほど残酷な状況でした。

富士山麓での日々

森友さんは本籍まで移して富士山麓のアトリエに移り住み、カウンセリングを受けながら回復を待ちます。医師からは「歌うことを一回置きなさい」と言われ、釣りをすすめられたそうです。歌うことを生業にしてきた人に「歌を置け」と言うのですから、相当な処方箋です。

それでもリハビリは続けていました。毎日スタジオに入り、過去のT-BOLANの音源を目標にして録音を繰り返す。ところが、いくらやっても「過去の自分に負けている」という状態から抜け出せない。その時間が10年続いたと本人は振り返っています。

転機は「振り返っている自分」への気づき

流れを変えたのは、2人目のお子さんの誕生だったといいます。そこで森友さんは「振り返っている俺が問題だ」と気づき、T-BOLANの曲を一度完全に封印して、他のアーティストの曲に取り組み始めました。坂本九さんの「上を向いて歩こう」を歌っているときに「誰かに聴いてもらいたい」と思える瞬間が訪れ、それが本当の意味での再出発になったと語っています。

  • 1991年7月シングル「悲しみが痛いよ」でメジャーデビュー。
  • 1991年12月「離したくはない」がロングヒットし全国区に。
  • 1992年11月「Bye For Now」がミリオンセラーを記録。
  • 1993年2月「おさえきれない この気持ち」でオリコン1位を獲得。
  • 1995年3月3月26日のライブを最後に活動休止へ。
  • 1999年12月心因性発声障害の診断を受けT-BOLAN解散。
  • 2009年11月「森友嵐士」名義で音楽活動を再開。
  • 2010年3月ソロデビューシングルをリリース。
  • 2012年6月T-BOLAN再結成を発表、13年ぶりにライブ活動へ。
  • 2014年4月渋谷公会堂での公演を最後に再び活動休止。
  • 2017年アコースティックベスト盤とツアーで本格的に活動を再開。
  • 2022年3月約28年ぶりのオリジナルアルバム『愛の爆弾=CHERISH ~アインシュタインからの伝言~』を発売。
  • 2025年9月47都道府県を巡るラストツアーがスタート。
  • 2026年8月8月10日、日本武道館でT-BOLANとしてのラストライブ。

04森友嵐士にとって歌うとは何か

「良い歌を歌おう」では歌えない

復活後のインタビューで森友さんが繰り返し語っているのが、「良い歌を歌おうと思って、良い歌は歌えない」という考え方です。技術で押し切ろうとした瞬間に声は出なくなる。心と身体の両方が整っていて初めて歌は成立する。10年以上かけて身体で学んだ結論なので、言葉の重みが違います。

同時に、聴き手のエネルギーがパフォーマンスを押し上げるということも語っています。ひとりで完結する芸ではなく、その場にいる人たちとの共同作業として歌をとらえている。この視点は、後述する「継承」というキーワードにもまっすぐつながっていきます。

復活のプロセスは「取り戻す」ではなかった

興味深いのは、森友さんの復活が「昔の声を取り戻す」方向ではなかったことです。むしろ過去の音源を目標にしている間はうまくいかず、それを手放したときに前に進めた。同じ声には戻らないと認めるところから、新しい歌い方が始まったわけです。

だから今のT-BOLANのライブは、当時の完全再現ではありません。60歳の声で、60歳の解釈で歌う。そこに違和感を覚えるファンもいるかもしれませんが、むしろ「今も現役で更新している人」の説得力があります。

ラジオという居場所

もうひとつ、森友さんのキャリアで見落とせないのがラジオです。2001年10月からラジオ日本で「森友嵐士のアラシを呼ぶぜ!」のパーソナリティを務めており、これは歌えなかった時期をまたいで20年以上続いています。近年はFM FUJIでも「T-BOLAN 森友嵐士のレディオフロンティア」がレギュラー放送されています。

歌えない間も、声を使う仕事は手放さなかった。この事実は地味ですが、キャリアの連続性を考えるうえでかなり重要だと思います。

052026年現在の活動

47都道府県を回り切ったラストツアー

2026年の森友さんは、文字どおりバンドの締めくくりに全力を注いだ1年でした。2025年9月13日の千葉公演を皮切りに始まった「T-BOLAN LAST LIVE TOUR 2025-2026 終章 SING THE BEST HIT JOURNEY 47」は、その名のとおり47都道府県すべてを回るツアー。武道館を除いて58公演という規模です。2026年に入ってからも各地を回り続け、追加公演として広島と大阪も組まれました。

ツアー発表時、メンバーからは「悔いを残さないために、自分たちの意思で”ラスト”を選びました」というメッセージが出されています。事務所の都合でも体調の限界でもなく、自分たちで終わり方を決めた――ここが今回のラストの一番の特徴です。

途中には体調不良による中止も

順風満帆だったわけではありません。2026年4月24日・25日の和歌山・奈良公演は、森友さんの体調不良によるドクターストップで中止となりました。その後、5月2日にご本人がXを更新し、ファンへの感謝と回復の様子を報告しています。

みんなから届いたメッセージに支えられながら、体調も随分回復してきています 出典:ライブドアニュース 2026年5月2日

同じ投稿では「5日高知からのライブ、そして武道館へ向けて、少しずつウォーミングアップも始めています」とも綴られ、実際に5月5日の高知公演でステージに復帰しました。

またベースの上野博文さんは、2025年9月のツアー開幕直前に肺がんステージ4を公表しています。2015年にくも膜下出血から復帰した経験を持つ上野さんは、治療を続けながらツアーに臨む意思を示し、最終的に武道館のステージにも立ちました。バンドとしての最後の1年は、そういう重さを抱えた1年でもあったわけです。

2026年8月10日、最初で最後の日本武道館

そして2026年8月10日、東京・日本武道館。T-BOLANにとってこれが初めての武道館単独公演であり、同時に最後の公演になりました。デビュー曲で幕を開け、全24曲を披露。森友さんは満員の客席に「たったひとつのこの一夜!最高の景色を一緒に刻もうぜ」と呼びかけたと報じられています。ステージには森友さん、ギターの五味孝氏さん、ベースの上野博文さんが揃い、ゲストとしてB.B.クィーンズの近藤房之助さんも参加しました。

「解散」ではなく「継承」――2028年の新章

最大のサプライズはアンコールでした。スクリーンに映し出されたT-BOLANのロゴが無限大マークに変わり、「2028・7・10 THE NEXT CHAPTER FOREVER BEGINS ♯T-BOLAN」の文字が浮かび上がります。

これは終わりじゃない。新しい時代へバトンを渡すための継承の始まり 出典:スポーツ報知 2026年8月10日

森友さんは武道館公演前のインタビューでも「解散ではないです。キーワードは『継承』です」と語っており、「♯T-BOLAN」については、全国で応援してくれるひとりひとりが新しいT-BOLANをつくる仲間になる、という趣旨の説明をしています。ファンを観客ではなく共同制作者として巻き込む構想のようで、具体的な形はこれから明らかになっていくのでしょう。

なお、この武道館公演はWOWOWで2026年9月6日に放送・配信されることが決まっています。当日行けなかった方にはうれしい知らせですね。

ソロとしての活動も継続中

T-BOLANと並行して、森友さんはソロ名義の活動も続けています。ピアニストの小島良喜さんとのデュオ公演は宝くじ文化公演として各地で行われており、バンドとはまったく違う、声そのものを聴かせる編成です。ラジオのレギュラーも継続中で、バンドが一区切りついた今後は、こうしたソロワークの比重が増していくのかもしれません。

06まとめ――森友嵐士の現在地

絶頂期に声を失い、10年以上かけて歌える身体を取り戻し、そこからさらに十数年かけてバンドを47都道府県に連れて行き、最後は武道館で締める。文章にすると数行ですが、森友嵐士さんが実際に歩いた時間は30年以上です。しかも、その締めくくりを「終わり」ではなく「継承の始まり」と定義してみせた。声を一度手放した経験のある人だからこその発想なのかもしれません。

森友嵐士 2026年現在まとめ

  • 1965年生まれ、広島県府中市出身。2026年8月時点で60歳。
  • T-BOLANのボーカルとして1991年デビュー、「Bye For Now」でミリオンを記録。
  • 1994年頃から心因性発声障害に苦しみ、1999年12月にバンドは解散。
  • 2009年に音楽活動を再開し、2012年にT-BOLAN再結成。2022年には約28年ぶりのオリジナルアルバムを発表。
  • 2025年9月から47都道府県を巡る「LAST LIVE TOUR」を敢行、2026年8月10日に日本武道館で完結。
  • 武道館では「2028・7・10」に「♯T-BOLAN」として新章が始まると発表。森友さんは「解散ではなく継承」と説明。
  • ラジオ日本・FM FUJIのレギュラー番組、小島良喜さんとのデュオ公演などソロ活動も継続中。

歌えなくなった人がもう一度歌えるようになる話は、それだけで十分にドラマです。でも森友さんの場合、本当に面白いのはその先でした。取り戻した声を自分の名誉回復のためだけに使わず、バンドを終わらせる手続きと、次の世代に渡す仕組みづくりに使っている。2028年7月10日に何が始まるのか、今の段階では誰にもわかりません。ただ、あの声が引き続きどこかで鳴っているのは間違いなさそうです。次に「離したくはない」を聴くときは、少しだけ違う聴こえ方がするかもしれませんね。