「ジョホールバルの歓喜」でゴールマウスに仁王立ちした、あのGKを覚えているでしょうか。横浜マリノスの守護神として、そして日本代表として4大会連続でワールドカップに帯同し、PK戦になれば必ず頼りになった「炎の守護神」こと川口能活さん。日本代表のゴールを守り続けた姿に胸を熱くした方も多いのではないでしょうか。2018年に現役を退いてからすでに数年。あれだけのレジェンドGKが、今いったい何をしているのか気になりますよね。実は川口さん、現在も古巣のピッチで次世代のGKを育てています。全盛期の活躍から2026年現在の活動まで、じっくりまとめました。

01川口能活のプロフィール

本名
川口 能活(かわぐち よしかつ)
愛称
炎の守護神
生年月日
1975年8月15日(50歳)
出身地
静岡県富士市
身長
180cm
ポジション
ゴールキーパー
主な活動
ジュビロ磐田GKコーチ・日本サッカー協会アスリート委員長
所属クラブ歴
横浜F・マリノス → ポーツマス → ノアシェラン → ジュビロ磐田 → FC岐阜 → SC相模原

2026年で50歳。あの長く伸ばした髪をなびかせてゴールを守っていた青年が、いつの間にか指導者として後進を導く立場になったと思うと、時の流れを感じますね。

02全盛期の活躍――炎の守護神と呼ばれた男

清水商業からマリノスへ、Jリーグ新人王の鮮烈デビュー

川口能活さんは静岡県富士市出身。サッカー王国・静岡の名門、清水商業高校(現・清水桜が丘高校)で頭角を現します。1994年に横浜マリノスへ加入すると、ルーキーながらレギュラーの座をつかみ、いきなりJリーグの新人王を獲得。「とんでもないGKが出てきた」とサッカーファンを驚かせました。

闘志をむき出しにしたプレースタイルから「炎の守護神」と呼ばれるようになり、果敢な飛び出しと反射神経、そして何よりPKを止める勝負強さで、瞬く間に日本を代表するGKへと駆け上がっていきます。

ジョホールバルの歓喜――日本サッカーを変えた一夜

川口さんの名前を全国区にしたのが、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」です。1998年フランスワールドカップ出場をかけたアジア第3代表決定戦、イラン代表との一戦。マレーシアのジョホールバルで行われたこの試合で、日本代表のゴールマウスを守っていたのが川口さんでした。

延長戦の末、岡野雅行さんのゴールデンゴールで日本が勝利し、悲願のW杯初出場を決めたあの瞬間。テレビの前で手に汗握った方、深夜に大歓声を上げた方も多いはず。あの歴史的な夜のゴール裏を守っていたのが、22歳の川口さんだったんです。

マイアミの奇跡――ブラジルを完封した立役者

もうひとつ忘れてはいけないのが、1996年アトランタオリンピックでの「マイアミの奇跡」です。グループリーグ初戦、優勝候補の大本命だったブラジル代表との一戦で、日本が1対0の勝利を収めた、五輪サッカー史上に残る大番狂わせ。

この試合、ブラジルから浴びせられた猛攻はシュート数にして実に28本。それを体を張って止め続け、無失点に抑え込んだのが川口さんでした。素早い飛び出しと驚異的な反射神経で次々とビッグセーブを連発し、世界に「日本のGK」の名を轟かせた一戦として、今も語り継がれています。

4大会連続のワールドカップ、代表116試合の重み

その後の川口さんは、日本代表GKの代名詞として君臨し続けます。1998年フランス、2002年日韓、2006年ドイツ、2010年南アフリカと、実に4大会連続でワールドカップのメンバーに名を連ねました。日本代表での国際Aマッチ出場は通算116試合に及び、これはGKとしては歴代でもトップクラスの数字です。

2000年と2004年のアジアカップ連覇にも貢献し、2004年大会と2001年のコンフェデレーションズカップではベストイレブンにも選出。日本サッカーがアジアの強豪、そして世界へと羽ばたいていく過程を、ゴールマウスからずっと支え続けた存在でした。

何より川口さんの魅力は、PK戦での圧倒的な勝負強さでした。相手キッカーとの駆け引きで一歩も引かず、ここぞという場面で足やこぶしを伸ばしてシュートを弾き出す。「PKになれば川口がなんとかしてくれる」という安心感を、日本中のサッカーファンが共有していました。守備の枠を超えて「チームを勝たせるGK」と評されたのは、まさにこの勝負強さがあったからです。長く伸ばした髪と闘志あふれる表情も含めて、当時の日本代表を象徴するアイコンのひとりだったと言っていいでしょう。

03海外挑戦から現役引退までの歩み

川口さんのキャリアは、常に挑戦の連続でした。日本代表の地位を確立した後、2001年には海外移籍を決断します。当時の日本人GKとしては前例の少ない、ヨーロッパへの単身挑戦でした。

  • 1994年横浜マリノスに加入し、ルーキーイヤーでJリーグ新人王を獲得。
  • 1996年7月アトランタ五輪「マイアミの奇跡」でブラジルを完封し、世界に名を轟かせる。
  • 1997年11月「ジョホールバルの歓喜」で日本のW杯初出場に貢献。
  • 2001年11月イングランドのポーツマスFCへ移籍。海外挑戦をスタート。
  • 2003年9月デンマークのFCノアシェランへ移籍し、欧州での挑戦を継続。
  • 2005年ジュビロ磐田に加入。以降、長きにわたりチームの正GKを務める。
  • 2014年FC岐阜へ移籍。ベテランとしてプレーを続ける。
  • 2016年SC相模原へ移籍。J3の舞台でも現役にこだわり続ける。
  • 2018年12月SC相模原での最終節をもって、24年間の現役生活に幕を下ろす。

ポーツマス、ノアシェランと欧州2クラブを渡り歩いた後、2005年に帰国してジュビロ磐田へ。ここでも長くチームの守護神として活躍します。そして2014年にFC岐阜、2016年にはSC相模原へと、カテゴリーが下のクラブに移ってでも現役にこだわり続けました。「もっとうまくなりたい」という探究心が、40歳を超えてなおピッチに立たせていたんですね。

最終的に川口さんは、2018年シーズン限りで現役を引退。12月2日のSC相模原での最終節にキャプテンマークを巻いて出場し、チームを勝利に導いて、24年間にわたるプロ生活に静かにピリオドを打ちました。Jリーグ通算では500試合を超える出場を積み重ねた、まさに鉄人GKでした。

04なぜ指導者の道を選んだのか

引退にあたって川口さんが語ったのは、「日本サッカーに、選手ではなく違った形で貢献したい」という思いでした。現役を退いた一流選手が皆そのまま指導者になるわけではありません。解説者やタレントとして活躍する道もある中で、川口さんが選んだのは、地道に指導の現場に立つ道でした。

その背景には、若くして世界の舞台を経験し、長く第一線で戦い続けたからこそ見えてきた「日本のGK育成」への問題意識があったようです。マイアミの奇跡から四半世紀が経ち、指導者となった川口さんは、自身がオリンピックや代表で得た経験を、これからの世代にどう還元するかを真剣に考えていました。

「サッカーを楽しむ」ということを、現役生活を通じて教えられた。 出典:スポーツ応援サイトGROWING(toto・BIG)インタビューより

引退後すぐにコーチング・ライセンスの取得に取り組み、2022年にはJFA公認のA級コーチライセンスとゴールキーパーのコーチ資格を取得。プレーヤーとしての実績にあぐらをかかず、一から指導の理論を学び直す姿勢には、彼の真面目な人柄がよく表れていますね。

052026年現在の活動

ジュビロ磐田のGKコーチとして古巣に復帰

2026年現在、川口能活さんの本拠地となっているのが、現役時代に長く在籍した古巣ジュビロ磐田です。2023年シーズンからトップチームのGKコーチに就任し、クラブのゴールキーパー陣を束ねる立場として指導にあたっています。就任会見では「強いジュビロを取り戻したい」「もう一度歓喜を味わいたい」と、古巣への熱い思いを語っていました。

選手として黄金期を支えたクラブに、今度は指導者として戻ってきたというのは、ファンにとっても感慨深いものがありますね。

川島永嗣を指導する、レジェンド同士の化学反応

特に話題を呼んだのが、2024年から同じくジュビロ磐田に加入した、日本代表GKの川島永嗣さんとの関係です。日本代表でしのぎを削った先輩・川口さんがコーチ、後輩・川島さんが選手という形で再びチームメイトになりました。

川島さんは川口さんの存在を、ジュビロ加入の決め手のひとつに挙げていました。

これを求めてジュビロに来た。 出典:web Sportiva 2024年4月11日

世界を知る2人のレジェンドGKが、コーチと選手として日々向き合っている――。これだけでもサッカーファンにはたまらない光景ですよね。川口さんは川島さんを含む複数のGKを指導し、それぞれの個性に合わせた指導を続けています。

JFAアスリート委員長として、選手の声を届ける

クラブでの指導と並行して、川口さんは日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員長も務めています。2020年に就任したこの役職は、現場を知る元選手の立場から協会に意見や提言を行うもの。ピッチを離れた場所でも、日本サッカーの発展に貢献し続けているわけです。

さらに川口さんは、引退後に早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科で学び、スポーツビジネスなどの分野を研究してきました。50歳にして学び続けるその姿勢は、現役時代の探究心そのもの。指導者としての引き出しを増やすための、たゆまぬ努力が続いています。

メディアやイベントでも「炎の守護神」の言葉を発信

GKコーチや育成の現場が中心とはいえ、川口さんはメディアやイベントへの登壇でも引っ張りだこです。JFA監修のGK育成プロジェクトでの指導動画への出演や、各種セミナーへの登壇など、現役時代の経験を言葉にして伝える機会も増えています。マイアミの奇跡やジョホールバルを知る世代にとっては、当時の貴重な裏話を聞ける貴重な存在でもあります。

「炎の守護神」と呼ばれたあの闘志は、今は若いGKたちを育てる情熱へと姿を変えているのかもしれません。

06まとめ

ジョホールバルの歓喜、マイアミの奇跡、4大会連続のワールドカップ――。日本サッカーが世界へと羽ばたいていったあの時代、ゴールマウスにはいつも川口能活さんがいました。その川口さんが2026年現在、古巣ジュビロ磐田で次世代のGKを育てていると思うと、なんだか胸が熱くなりますね。

川口能活 2026年現在まとめ

  • 2018年12月、SC相模原での最終節をもって24年間の現役生活を引退
  • 2022年にJFA公認A級コーチ・GKコーチのライセンスを取得
  • 2023年シーズンから古巣ジュビロ磐田のトップチームGKコーチに就任
  • 2024年加入の日本代表GK・川島永嗣さんをはじめ複数のGKを指導
  • 2020年からJFAアスリート委員長として協会に選手目線の提言を行う
  • 早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、指導の引き出しを広げている
  • GK育成プロジェクトやセミナー登壇など、メディアでの発信も継続中

選手としても指導者としても、常に「もっと良くなりたい」と学び続けてきた川口さん。世界を相手に戦った経験と探究心が、これから日本のゴールマウスを守る若いGKたちへと受け継がれていくのでしょう。炎の守護神の新たな挑戦を、これからも見守っていきたいですね。