ローラースケートで宙を舞い、ピンクの衣装でセンターに立っていたあの少年を、覚えている方も多いのではないでしょうか。光GENJIの「かーくん」こと諸星和己さん。「STAR LIGHT」「パラダイス銀河」で日本中の女の子を熱狂させ、アイドル史に残る社会現象の真ん中にいた人です。ところが1995年の解散を境に、テレビで見かける機会はぱたりと減りました。あれから30年。実は諸星さん、ハワイに暮らしながら、日本では年に何十本ものライブをこなす現役のステージパフォーマーとして走り続けています。2026年現在の諸星和己さんの「今」を、全盛期から順に追いかけてみましょう。
01諸星和己のプロフィール
- 名前
- 諸星 和己(もろほし かずみ)
- 愛称
- かーくん
- 生年月日
- 1970年8月12日(55歳)
- 出身地
- 静岡県富士市
- 身長・血液型
- 169cm・A型
- 主な活動
- 歌手・俳優・タレント
- 所属グループ
- 光GENJI(1987年〜1995年)
- メンバーカラー
- ピンク
- 代表曲
- 「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河」(グループとして)/「一匹狼」(ソロ)
2026年8月で56歳。あのローラースケート姿が10代半ばだったことを思うと、時の流れを感じますね。
02全盛期の活躍――ローラースケートに乗った国民的アイドル
1987年、7人が合体して伝説が始まった
光GENJIが結成されたのは1987年6月25日。諸星和己さん、佐藤寛之さん、佐藤敦啓(アツヒロ)さん、山本淳一さん、赤坂晃さんからなる「GENJI」と、内海光司さん、大沢樹生さんの「光」が合体する形で誕生した、7人組のアイドルグループです。
同年8月19日、チャゲ&飛鳥(のちのCHAGE and ASKA)が楽曲提供したシングル「STAR LIGHT」でデビュー。ローラースケートを履いたままアクロバティックに舞うパフォーマンスは、それまでのアイドル像を根こそぎ塗り替えました。歌番組でローラースケートを履いて登場するグループなんて、それまで誰も見たことがなかったわけです。
デビュー当時、諸星さんはまだ16歳になったばかり。14歳で静岡から家出同然に上京してきた少年が、わずか2年で日本中が知る存在になったのですから、とんでもないスピード感です。
ピンク担当・不動のセンターとして
7人のうち、諸星さんのメンバーカラーはピンク。そしてグループの不動のセンターポジションを務めました。屈託のない笑顔と、開けっぴろげな性格。そして何より、ステージ上での華のあり方が際立っていて、グループ内でもとりわけ人気の高いメンバーとして知られていました。
「ガラスの十代」「パラダイス銀河」「太陽がいっぱい」と、リリースする曲が軒並みオリコン1位を獲得。1988年には日本レコード大賞を受賞し、紅白歌合戦の常連にもなりました。当時のコンサート会場は、失神者が出るほどの熱狂ぶり。アイドルの社会現象という意味では、まさに時代のど真ん中にいたグループでした。
「ビッグマウス」と呼ばれた10代
諸星さんを語るうえで欠かせないのが、当時の歯に衣着せぬ発言スタイルです。テレビで思ったことをそのまま口にし、共演者にも物おじしない。「ビッグマウス」と評され、それが良くも悪くも大きな話題を呼びました。10代半ばで突然トップスターに押し上げられた少年が、そのポジションに見合う心構えを持つ暇もなかった、ということでもあります。後年、本人がこの時期を率直に振り返っているのですが、その話は後の章で。
ソロとしての活動、そしてミュージカルへ
グループ活動と並行して、諸星さんは早くから個人での表現にも踏み出していました。1991年にはミュージカル『GOLDEN BOY』で初主演を務め、舞台という新しいフィールドに立ちます。
1994年には1stソロシングル「一匹狼」をリリース。オリコン週間ランキング9位を記録し、同年のソロアルバム『RA・KU・GA・KI』も15位に入りました。アイドルの枠から出て自分の表現を探し始めた時期であり、この頃に手にした「歌とステージ」という軸が、その後30年の活動を支えることになります。
03解散とその後の歩み
1994年に2人のメンバーが脱退し、1995年、光GENJIは解散します。デビューから約8年。時代を席巻したグループの終わりは、ファンにとってあまりに突然でした。
そして諸星さんは解散と同時に、当時所属していたジャニーズ事務所を退所します。ここから、テレビの露出は急速に減っていくことになりました。
- 1984年14歳で静岡から上京。芸能界への道を歩み始める。
- 1987年6月「GENJI」と「光」が合体し、光GENJI結成。8月19日に「STAR LIGHT」でデビュー。
- 1988年「パラダイス銀河」などが大ヒット。日本レコード大賞を受賞し、人気は絶頂に。
- 1991年ミュージカル『GOLDEN BOY』で初主演。舞台俳優としてのキャリアが始まる。
- 1994年1stソロシングル「一匹狼」(オリコン9位)、ソロアルバム『RA・KU・GA・KI』(同15位)をリリース。
- 1995年光GENJI解散。同時に所属事務所を退所し、独立する。
- 2000年自主レーベル「Pink A Rock Records」を設立。自分の音楽を自分で出す体制へ。
- 2009年〜2012年『Evil Dead The Musical』主演、『キャバレー』出演など、舞台を中心に活動。
- 2014年映画で主演を務めるなど、映像作品にも出演。この頃はニューヨークを拠点にしていた。
- 2020年8月公式ブログでハワイ在住を公表。以降、ハワイを拠点に日本でのライブ活動を継続。
- 2024年夏元メンバー・赤坂晃さんとのコラボライブ「Special GiGz 2024 X1」を開催。
- 2025年光GENJI解散30年。WOWOWのドキュメンタリー『7 S.T.A.R.S.』が放送され、メンバーの現在に光が当たる。
事務所を出るということの重さ
大手事務所を離れるというのは、テレビの露出やレギュラー番組といった「アイドル時代の当たり前」を、まるごと手放すことでもあります。実際、解散後の諸星さんはバラエティ番組の常連という立ち位置からは離れていきました。ただ、そこで芸能活動そのものをやめたわけではありません。2000年には自主レーベル「Pink A Rock Records」を設立。事務所という後ろ盾がないなら、自分で曲を出す仕組みを作ってしまえばいい、という発想です。誰かに用意してもらったステージに立つ人から、自分でステージを用意する人へ。ここが諸星さんのキャリアの、いちばん大きな転換点だったのかもしれません。
舞台に活路を見出した2000年代
2000年代以降の諸星さんの主戦場は、テレビではなく舞台でした。2009年には『Evil Dead The Musical』で主演を務め、2010年・2012年には『キャバレー』に出演。10代でローラースケートを履いて踊っていた身体能力と、『GOLDEN BOY』で得た経験がつながっていたからこそ、歌と芝居と身体表現がすべて要る舞台という選択肢が現実的になったのでしょう。
04ニューヨークからハワイへ――拠点を海外に移した理由
「引き潮のように人が引いていった」
解散後、諸星さんはアメリカ・ニューヨークに拠点を置くようになります。日本での仕事は続けながら、生活のベースを海外に移すという選択でした。
2014年にYahoo!ニュース オリジナル THE PAGEが掲載したインタビューで、諸星さんは渡米の理由を「考え方の違う人と接していきたい」からだと語っています。ニューヨークの人たちは自分の価値観をしっかり持っていて、こちらの話を聞いたうえで、違うと思えばはっきり異を唱えてくる。そういう関係性に惹かれた、というわけです。
同じインタビューで、諸星さんは解散後の自分の周囲についても率直に振り返っています。グループが解散したあと、人が引き潮のように引いていった――と。その原因は、かつての自分の傲慢さにあったと本人が認めているんですね。準備ができていないうちにファーストクラスに乗ってしまったようなものだ、という趣旨の言葉も残しています。
10代でトップに立ったからこその実感でしょう。当時のいわゆる「ビッグマウス」を、後になって自分の言葉で総括している。この誠実さは、なかなかできることではないと思います。
「失うものは何もない」という開き直り
その一方で、諸星さんは落ちぶれたと嘆くのではなく、「失うものは何もない」というマインドに切り替えたと語っています。過去の栄光を守ろうとしないから、いくらでも攻めていける。40代当時の諸星さんを前に進ませていたのは、この開き直りでした。
2020年、ハワイへ
そして2020年8月、諸星さんは自身の公式ブログで、ハワイに住んでいることを公表します。ニューヨークからハワイへ。以降、生活の拠点はハワイに置きつつ、日本でのライブのたびに帰国するというスタイルが定着しました。
ハワイの日常はブログでも折に触れて発信されており、現地の風景や暮らしぶりを伝える投稿にファンが集まっています。日本のテレビからは遠ざかったけれど、活動が止まっていたわけではまったくない。むしろ、拠点を海外に置いてもなお日本でステージに立ち続けているという事実のほうが、よほど驚くべきことかもしれません。
052026年現在の活動
春ツアーは全24公演――ファンクラブ「Pin,K」が支える現場
2026年の諸星和己さんは、想像以上にハードに動いています。
3月28日から5月5日にかけて開催されたライブツアー「Pin,K Jam WEncore 2026 Spring -The day when Naupaka Flowers Overlap-」は、なんと全24公演。名古屋のボトムライン、恵比寿ザ・ガーデンルーム、大阪なんばHatch、神戸チキンジョージ、横浜赤レンガ倉庫1号館、横浜ベイホール、川崎CLUB CITTA’と、全国のライブハウスを回りきりました。
「ナウパカの花が重なる日」というツアータイトルは、ハワイに伝わるナウパカの花の伝説にちなんだもの。ハワイに暮らす諸星さんらしい選び方です。
ツアーに参加したバンドメンバーは、SNSで全24公演の完走をこう報告しています。
諸星和己さんライブツアー「Pin,K Jam WEncore 2026 Spring The day when Naupaka Flowers Overlap-」完 全24公演ありがとうございました 祝福というテーマの元 メンバー、スタッフ、お客さん全員で作り上げたナイスライブでした 出典:ベーシスト・服部源氏のX投稿 2026年
55歳で年間何十本というライブハウス公演をこなす。これは正直、かなりの体力仕事です。
この活動を支えているのが、ファンクラブ「Pin,K」の存在。チケットの優先先行販売をはじめ、会員向けの仕組みがしっかり整えられていて、テレビ露出に頼らずライブの動員を成立させる基盤になっています。メンバーカラーのピンクを冠した名前というのが、また泣かせますね。
夏公演、そして12月にはクリスマスディナーショー
春ツアーが終わっても、2026年の予定はまだまだ続きます。夏には「Pin,K Jam WEncore 2026 Summer」として、7月25日・26日、8月1日・2日の公演が組まれており、愛知・大阪・兵庫での開催が告知されています。
さらに公式ブログと公式サイトでは、12月6日(日)に愛知県豊田市の名鉄トヨタホテルで『諸星和己Xmas Dinner Show2026』を開催することが発表されました。1部12時・2部17時の2公演制です。ファンクラブPin,K会員向けの優先先行受付は8月20日12時から9月3日16時まで、抽選結果は9月6日にメールで案内される予定と告知されています。
春に24公演、夏に4公演、そして年末にディナーショー2公演。テレビで見かけないだけで、現場では完全に現役です。
ミラクルひかるさんの投稿で「金髪がっしり姿」が話題に
2026年6月、諸星さんの近影が思わぬ形で世間の注目を集めました。
ものまね芸人のミラクルひかるさんが6月9日、諸星さんの単独ライブを観に行ったことをInstagramで報告。ライブ中にステージへ呼ばれて登壇したエピソードとともに、諸星さんとのツーショットを公開したのです。
そこに写っていたのは、金髪でがっしりとした体格の諸星さん。かつての線の細いアイドル像とのギャップに、コメント欄では「ヒロミじゃないの?」と別人ではと驚く声まで上がったと、SmartFLASHが報じています。
55歳の諸星は1987年に光GENJIでデビュー。1995年の解散後、ジャニーズを独立し、ニューヨークやハワイを拠点に活動。現在はハワイ在住で、定期的に日本でファンクラブイベントを開催。 出典:SmartFLASH(Yahoo!ニュース掲載)2026年6月
もちろん30年経てば誰だって変わります。ただ、この「変わった」が話題になること自体が、あの頃の諸星和己さんの姿がいかに強く記憶に刻まれているかの証明でもあるわけです。
解散30年、そして再結成への期待
2025年は光GENJI解散から30年という節目の年でした。WOWOWでは佐藤アツヒロさんが元メンバーを訪ね歩くドキュメンタリー『7 S.T.A.R.S. ~7つの答え~ 佐藤アツヒロが繋ぐ光GENJIの現在』が1月から7月にかけて全7回で放送され、それぞれの現在に光が当たりました。
そして2026年6月25日、結成39周年のその日に、ポニーキャニオンのYouTubeチャンネルでデビュー曲「STAR LIGHT」のミュージックビデオが公開されます。デニムオンデニムにローラースケートという、1987年当時の7人の姿。SNSでは「再結成、今だよ!」といったファンの声があふれました。
諸星さん自身も、元メンバーとの距離を縮めてきました。2024年夏には赤坂晃さんとのコラボライブ「Special GiGz 2024 X1」を7月21日の川崎CLUB CITTA’、8月4日の大阪なんばHatchで開催。なお2023年夏のツアー最終公演では、ASKAさんがステージに駆けつけ共演する場面もありました。楽曲を提供してくれた恩人と、あれから何十年も経って同じステージに立つ。感慨深いものがありますね。
一方で、正式な再結成が具体化しているという発表は、2026年7月現在ありません。7人それぞれに30年分の道のりがあり、簡単な話ではないでしょう。ただ、かつて「事務所の垣根」と言われた壁の事情が変わってきていることもあり、期待の声が消えることはなさそうです。
06まとめ
ローラースケートで駆け抜けた国民的アイドルが、事務所を離れ、海を渡り、それでも歌うことをやめなかった。2026年の諸星和己さんは、ハワイに暮らしながら日本のライブハウスを24本回りきる、正真正銘の現役パフォーマーです。
諸星和己 2026年現在まとめ
- 1970年8月12日生まれ、静岡県富士市出身の55歳(2026年7月現在)
- 1995年の光GENJI解散と同時に事務所を退所し、独立の道へ
- 2000年に自主レーベル「Pink A Rock Records」設立、2000年代は舞台を主戦場に
- ニューヨークを経て、2020年8月に公式ブログでハワイ在住を公表
- 2026年春ツアー「Pin,K Jam WEncore 2026 Spring」は全24公演を完走
- 夏公演は7月25日・26日、8月1日・2日。12月6日には愛知でクリスマスディナーショーを開催予定
- 2026年6月、ミラクルひかるさんのSNS投稿で近影が話題に。ファンクラブ「Pin,K」を軸に活動継続中
テレビに出ていないことと、活動していないことは、まったく違うんだということを、諸星さんのキャリアはよく教えてくれます。準備のないままファーストクラスに乗ってしまった10代の少年は、30年かけて、自分の力でチケットを買える大人になりました。ハワイと日本を往復しながらステージに立ち続ける55歳のかーくんを、これからも見守っていきたいですね。